芦澤: 4層構造のご説明をいただいて、3つはすごく分かりやすくて、物理性、エネルギー性、機能性ですよね。最後の記号性というところが、なんかちょっと腑に落ちないところがありまして、それが結局、箱でやってらっしゃることがなんでなのかっていう質問にもつながっていくと思うんですけど。マトリックスの先ほどの表を見させていただいても、いろいろこう磁場的なこととか、ゲニウス・ロキという言葉もありましたけれど、場所と呼応する建築を考えたときに、箱という解答に果たしてなっていくのか。

難波:発想が逆ですね。僕は「箱」を、その敷地にどれだけ馴染ませられるかという問題から出発します。僕の考えでは、敷地は周辺環境の中の一つの細胞です。その細胞が分裂して、駐車場や庭と建物が生まれ、さらに建物がリビングやキッチンなどの部屋に細胞分裂していく。その分裂を最小限にとどめると、一室空間住居になるのです。なぜ最小限にとどめるかというと、第3層の機能性では、現在の社会状況と家族問題があり、エネルギー(第2層)の問題や街並(第4層)の問題がある。要するに「箱」は細胞分裂の最小単位なのです。通常のデザインプロセスでは、部分を集積して敷地に馴染ませていくけど、僕の場合、デザインプロセスはまったく逆に進みます。
イマヌエル・カントという哲学者がこういっています。世界を認識するとき、人間は空間と時間という「認識図式」を当てはめている、と。つまり空間や時間は客観的な存在ではなく、人間の「認識図式」が生み出した枠組なのです。フォン.ユクスキュルという生物学者によれば、ナメクジと人間にとっての空間と時間はまったく異なるといいます。文化人類学者のレヴィ=ストロースも同じようなことをいっています。僕はその考え方を建築に当てはめているだけです。まず「建築の4層構造」や「箱」という認識図式があり、それを与えられた敷地や予算や家族構成に当てはめるとどうなるか、という問題の立て方をするわけです。だから「建築の4層構造」や「箱」は、出発点であって結果ではありません。

平沼:もう1つ聞かせて下さい。難波先生の手法の中で建築空間の形態とかをどのように導き出されていますか?

難波:今、述べたことが回答です。敷地や家族が違えば、住宅の形も変わるはずだというのは普通の発想です。もちろんそれで構わないし、批難するつもりはありません。けれども、建築デザインが建築家の「意志」によって構築されるのだとしたら、「箱の家」のように、同じ図式によって、それをできるだけ変えないようにする方が、もっと意志の力を必要とするから、建築家的ではないかと思いませんか。その都度、敷地や与条件から出発するのは、簡単とはいわないけれども、ごく自然だし、強い意志を必要としない。

芦澤:その大変さはなんとなく想像できるんですけれども、非常に一般的な言い方になってしまうかもしれませんけれども、同じ箱のような建物が街の中にずらっと並ぶ、そういう都市風景を作っていくことにはつながっていかないでしょうか?

難波:なりませんね。箱を受け入れる人は、そんなに沢山存在しないからです。建築家の発想のまずいところは、1つの作品が都市全体に通用すると考える点です。建築家はそんなに期待されてはいません。
かつて千葉県の柏市に「箱の家」17番を建てたとき、千葉建築士会から千葉建築賞に応募してくれと頼まれました。ところが、現地審査に来た審査員から「箱の家」は東京も大阪も皆同じで、千葉らしさが見られないといわれ、見事に落とされました。僕はハナから千葉らしさをデザインしようとは考えていなかったし、千葉と東京郊外の住宅地の敷地条件はほとんど同じだから、同じような箱になるに決まっているからす。それでも「箱の家」の住人や近所の人にとっては、見たことのないユニークなデザインです。それで十分ではないでしょうか。だから、僕の考えでは、「箱の家」を一般解として捉えてしまう建築家の発想の方が間違っていると言わざるをえない。

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