平沼:あの、建築を目指されるわけですが、そもそも、どんな少女時代だったんですか?

永山:私は小さい時、生まれてから3年ぐらいスイスに住んでいて、帰ってきてからは東京の杉並区で育ちました。幼稚園入るぐらいの時に帰ってきたので、結構早くに帰ってきていました。その時の記憶は、結構うろ覚えって感じですね。

平沼:お父様がお仕事をスイスで?

永山:そうですね。ETHっていう、チューリッヒ工科大学で物理の研究をしていました。ポストドクターでしたが、ちょうどヘルツォーク&ド・ムーロンがいる大学ですね。そういう大学の家族寮みたいなところにいました。

芦澤:何か、スイスの影響などはありましたか。

永山:どうですかね。一時期、作品の中に『届かない場所』というコンセプトを考えていた時がありました。スイスって結構自然が厳しくて、日本みたいに地続きの自然というよりは、いきなり切り立ったような自然の感じで、その距離感がすごく面白いなぁと思っていました。そういう届かない場所とか、自分とちょっと隔たった場所が見えることが、面白いなあと思っていました。現体験の中から、そういう空間体験に繋がるところは、少し後からありました。

平沼:なるほど。少女時代は活発でしたか?

永山:でも、そうですね。家が好きでした。

芦澤:アルプスのハイジみたいな感じではないのですね。

永山:そうですね。でも民族衣装をよく着ていました。アジア人で民族衣装着ている子って珍しいので、迷子になってもすぐ見つかるっていう。

平沼:なるほど。迷子になるくらい、色々…

永山:そうですね。小さい時は、たったかたったか歩いて、どこか行っちゃうような感じでしたね。

平沼:なるほどね。小中高では、何かクラブ活動はやっていましたか?

永山:そうですね。小学校の時に中高一貫の女子校を受験しました。高尾山の近くの学校で、すごく自然に溢れている学校でした。中学校の時には、野外研究部っていう、科学部みたいなところに入って、虫や植物の観察とか、野草を食べたりしていましたね。

平沼:お父さんは化学の方、科学の方ですか?

永山:生物物理です。

芦澤:寮生活ってことですか?

永山:寮ではないです。普通に通っていました。

平沼:何か建築に向かうきっかけは、ありましたか?

永山:そうですね。ずっと父の影響もあって、生物の道に行こうと思っていました。それで理科系クラスにいて、大学受験を控えていたのですが、皆で進路の話をしている時に、そのうちの一人の子が、私建築に行こうと思っていて…みたいなことを言っていて。何かその時に、え、建築?みたいな。なんかいいなってすごく思って、それで、その瞬間に私も!みたいな感じで、建築に進路を急に変えました。

平沼:なるほど。大学から本格的にですね。

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