芦澤 : そろそろお時間なので、最後の質問にいきたいと思いますが、建築を設計されていて、プロジェクトごとにテーマ性は違うと思うんですけど、だいたいいつも注目されている問題点ですとか、自然環境ですとか、社会のこととか、どの辺に意識が集中されているのか、分散されているのか、わかりませんけど、その辺はいかがでしょうか。

西沢 : 建築以外の問題っていうことですか?

芦澤 : はい。もしくは建築を設計をされている中での問題意識といいますか、持たれているところがあれば。

西沢 : 最近よく思うのは、世の中に建築を信じている人は、ほとんどいないんだなあっていうことです。今日最初に僕は、自分は何でも建築のせいだと思ってしまうって申し上げたんですが、それは、建築の未来を信じてるからなんですよね。やや大げさに言うと、僕は建築というのは万能だと思ってきたし、今でも思っているんですね。ここ数年はますますそう思うようになった。
いま東京では放射能がたいへんな騒ぎになっておりまして、関西に移住しようっていう方々もいます。僕のマンションの住人は3月11日の直後に半数以上が、西日本や沖縄に行くって言って出て行きました。もちろん普通の方は逃げてもしかたないです。残念ながら建築も都市も自分たちを守ってくれそうもないし、守ろうともしてこなかったわけだし。でも、僕ら建築や都市の専門家まで一緒に逃げてしまったら、もう一巻のおわりだと思うんです。僕は福島原発が爆発した日に、うちの家内に、あなたは一般人だから逃げていい、でも僕は建築をやってきたし,ここが自分の街だから、最後まで逃げられないって説明しました。これから東京という街と建物をどう変えていけばいいのか、どうすれば被爆量が減るのか、誰かが考えないといけないって。一人でも多くの専門家がこれを経験して、その中の誰かが何かを考え出さないといけないって。自分にできるかどうかはわからないけど、街と建物を放りだして逃げることはできないって。

芦澤 : はい。

西沢 : 建築と都市の専門家がやるべきことは、ある街が被爆したと言ったらば、安全な水源をどう確保するのかとか、食料の物流ルートはあるのかとか、今までの街路のどこがダメなのかとか、そういう問題に答えることですよね。それから、建物は今までどおりでいいのかとか、ちゃんと塾睡したり休養できるのかとか、そういうことですよね。つまり、そこに行けば生存できるという場所に、街や家を変えていくことだと思うんです。都市や建築にとっての最低限の使命は、生存のために有意味な存在になることです。機能性とか利便性なんて寝ぼけた話をしている場合じゃないのです。機能性なんてものは、生存が可能になった後に意味をなすことで、いまは生存が揺らいでいる段階です。さっきも言ったように、建築の唯一のライバルは自然界なのです。それは穏やかな優しい自然ではなくて、とてつもなく凶暴な自然です。このことは、いつのまにか20世紀の建築家が忘れてしまったことなんです。もちろん被災地でいろいろやってみたけど万策尽きたから逃げるというのはわかるんですけれど、震源地から200kmくらい離れた東京みたいなところにいて、なんだか恐いから一般人と一緒に逃げましたというのは、建築家とは言えないと思います。
あるいは、路上で被爆するのを阻止できないとしたら、次は家の中での被爆を阻止する,その為に建築をどう変えていけばいいか、ということだと思うんです。そんな前例はないけど、建築しかそんなことできないです。どうして建築の可能性を信じられないのか。

芦澤 : はい。

西沢 : あるいは、さっき言った例でいうと、ひきこもりが問題ですっていったら、それは医者が治すんじゃない、建築が治すんだと考えるのが、建築家だと思うんです。どうして建築を信じられないのか。医者が治せるのは骨折とか胃潰瘍くらいで、メンタルな病気になると睡眠薬を渡されて終わりでしょう。そういう病気は環境で治してみたらどうかって考えた方がいいと思います。もちろん治らないかもしれないし、治るかもしれない。やってみないとわからないですが、何もやらずに薬でしか治せないと決めつけるのは、不条理だと思います。
いずれにしても建築の可能性を、建築に携わる人には信じてもらいたいし、福島のようなことがあっても自分は信じようと思っているんですね。

平沼 : 僕たちのような建築を職業ではなく、生き方のようにやっているものにとっては、なんだかとても心強いお話しをお聞かせいただきました。

芦澤 : けっこうみなさん震災で、建築やってていいのかみたいに思われてる方、僕もそうですけど、でも信じないと、

西沢 : マグニチュード15の地震は発生しないといった証明は、できないです。相手が自然だからです。自然を相手にしている以上、今まで建築家が4000年やってきたことが全部通じないというような日も、もしかすると来てしまうかもしれないです。でも、仮に過去の建築が全部ダメになってしまったとしても、まだ何かできる余地はあるはずだと思うし、そういう意味で建築の未来を信じているのですけどね。

芦澤 : はい。では最後に、聴衆の方々にメッセージがあればおねがいします。

西沢 : そうですね。若い方ほどそうだと思うんですが、とても聞き分けが良くて、世間の意見に自分を合わせようとする方が多いように見えます。だけど、回りの意見が全部間違っていたというようなことは、歴史上いくらでもあります。戦前もそうですし,福島の原発だってある意味ではそうです。だから世間の意見や評価のなかで、自分には同意できないことを大事にした方が、いいんじゃないかな?っていう気がします。

平沼 : すみません。最後に1つだけ質問があります。西沢さんが建築をつくられるときの、スタッフの方との関係って、かなり密接な指示や検討をされながら進められているのですか?

西沢 : ええ、マンツーマンです。

平沼 : やはり、そうですか。

西沢 : ゼロから設計の仕方を覚えてもらうので。

平沼 : そうですよね、そうじゃないとこれらの建築はつくれないですよね。

西沢 : ボリュームスタディするときにいきなり詳細図のスタディをしますからね。そういうことを全部教えながらやります。

芦澤 : 図面とかひとつひとつ全部、スタッフの方と、西沢さんと一緒にやっていくというかんじですか。

西沢 : もちろん製図はなるべく彼らにさせて、僕は基本的にチェック係です。スケッチは早ければこっちが描きますけれど、なるべく所員を描き手の主体になってもらって、細かい直しをしていきます。

平沼 : 図面までは手を出されていませんか?

西沢 : なるべく簡単なチェックで済むようにしています。

平沼 : なんか僕、描いてそうな気がするのですが。笑

西沢 : こっちがやった方が早いんですが、それをやってしまうと所員たちは指示待ち人間になってしまいますよね。そうなると、現場で事件が起きたときに対応ができなくなってしまう。だから、なるべく指示はしません。指示なしで行動できるようになった方が、所員にとってもスキルがあがるので、おもしろいと思うし。

芦澤 : いま、事務所はスタッフさん何人いらっしゃるんですか。

西沢 : いま3人ですね。他に研修が1人。

平沼 : そうですか。

芦澤 : 3人のスタッフの方も、家に帰らないですか。

西沢 : 今日は僕がいないので幸せなんじゃないかな。笑

芦澤 : でも終電で帰られるんですよね。笑

西沢 : はい、帰ります。笑

芦澤 : では、まだまだ聞きたい話はたくさんありますが、このへんで、今日は終わりにしたいと思います。西沢さん、どうもありがとうございました。

西沢 : はい。今日はありがとうございました。駆け足ですみませんでした。

平沼 : どうもありがとうございました。

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