平沼:GAの二川さんから坂さんのお話しをお聞きしたことがあるのですが、その頃の、育たれた家が今のGAの近くだったのですか? あっ、息子さんの由夫さんと同級生だったとか?
坂 :え?お父さん?
平沼:あっ、はい。幸夫さん、お父さんです。
坂 :あっ、二川のお父さん? あれっ、平沼さんに? 何か言っていました?
平沼:何かこう、坂さんが二川さんの娘さんか息子さん? 僕は息子さんだと思っていたのですが、仲が良くて、建築を学んでいたみたいなことを言われていたのですが。
坂 :いや、それは娘さんの方とニューヨークにいた時にご近所だったんです。
平沼:あっ、そうですか。
坂 :二川のお父さんに?
平沼:はい。お父さんに。
坂 :写真家の?
平沼:はい。写真家の。
坂 :(笑) じゃぁ、もう時効だからお話しますね。
でもあんまり、言ってないというか、言うなって彼に言われていて。
平沼:わっ、すみません。
坂 :いや、そんなことないですよ。
でもそれはなぜかっていうと、僕の最初の仕事は、二川さんのアシスタントだったからなんです。
平沼:えー、あっ、そうなんですか!
坂 :実は大学を卒業して、いちばん最初に二川幸夫さんのアシスタントをやっていたんです。
平沼:えー。そうなのですか。それははじめて知りました。
坂 :いや、それで、一緒に海外へ連れて行ってもらったり、旅行をして。
平沼:あー、そうだったのですか。でもとても、坂さんという建築家のことを良くいわれていました。
坂 :本当?(笑)
でもだから、二川さんのいくつかの写真。例えばアルヴァ・アアルトの自邸。背後に僕が鞄を持ってこうやって立っているわけです。
平沼:(笑)
坂 :二川さんが、いい建築家になるためには、いい建築を見なければだめだと言ってくださっていたのです。そういうチャンスを与えてくださったり、二川さんは、その後もニューヨークに居た方がいいと言ってくださったのですが、そのあと僕は日本に帰ることになってしまって。
平沼:わぁ、そうだったのですね。
坂 :二川さんのところにいたなんて、割と自分のプラスになるじゃないですか。
だから二川さんから、お前、絶対それを人に言うなって言われていていました。
だから、何十年も言わなかったんです。
平沼:あ、そうですか。・・・すみません。
坂 :いやそんなことないです。(笑)
でも、二川さんがそんなこと言い始めたんだったら、もう時効だからいいですね。
平沼:いやいや。
坂 :本当にそのおかげで今があるなぁと思っています。例えば僕はそれまで、アアルトなんて全然興味無かったんですよ。でもたまたま二川さんと旅行でアアルトに行ったために、僕の建築人生が大きく変わったぐらいなんです。
平沼:それくらいの影響があったわけですね。
二川さんについて行かれたのはクーパー・ユニオンに在学されている時ですか?
坂 :いや、卒業した後の85年です。
平沼:それで、坂さんにとって二川さんに就かれたのが最初の仕事だということを仰ったのですね。
坂 :最近では二川幸夫さんを知らない方いるかもしれないので、ちょっと話しておきますね。今ではいろんな新しい雑誌ができたから、皆さんそれほどGAという建築雑誌の影響力がわからないかも知れませんが、当時は世界で唯一、建築の基準をつくっている雑誌がGA 二川幸夫だったんです。他の雑誌だったら、どんな建築作品でも載せますだったけど、GAだけは二川幸夫が自分の目で見て、気に入らないものは絶対に載せなかった。二川さんは、事前にご自身で建築物を見て、撮りたいと思って掲載を決めてから建築家へコンタクトをとるのですが、その頃、僕の方が英語が話せたので、コンタクトをとる役割をやっていました。その中で僕が今でも忘れられないのが、確かね、二川さんがつくったGA Houseの撮影で、ノルウェーのど田舎に行ったのですが、そのど田舎にある建物を二川さんが撮ろうと言われたので、僕がその建築の設計者に電話したのです。そうしたら電話越しに設計者が感動しているのです。世界の二川幸夫が自分の作品を見てくれて、そして写真を撮りたいと言ってくれると。当時、二川幸夫に認められたっていうのが、世界の唯一の基準だったんですね。その感動が今でも忘れられなくて、だから僕も、将来は二川さんに写真撮ってもらえるようなのをつくりたいなと思っていました。
平沼:なるほど。
坂 :それがひとつの目標だったのです。
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