坂 :この写真はハイチです。これは2年前ですね。一つの島をドミニカ共和国とハイチで半分に分けていて、ここがハイチの首都、ポルトープランスです。港も空港も全部閉鎖されて、無政府状態だったので、そこには民間人は入れないため、隣のドミニカのサントドミンゴという首都まで飛行機で飛んで、そこから陸路を7時間くらいかけてポルトープランスまで行くと、みなさん貧しいシェルターに住んでいたんです。この国では、材料を手に入れることもボランティアを集めることも出来ないので、隣のサントドミンゴの学生を訓練し、そこにお金を送ってシェルターの材料を全部準備して、またポルトープランスに車で戻って建設しました。被災した人達も一緒に手伝ってくれるような簡単なものなのですが、住むところも全然ないものですから、僕が仕送りしたお金でサントドミンゴの学生たちが部材を発注したり加工したりしてくれて準備して、週末の3日間、合計50日という短期間だけで建設しました。

この写真は我々の国ですね。毎回地震が起こるたびに見る光景です。いくら経っても、政府は何もしてくれない避難所の状況です。よく言われるように、雑魚寝しているとプライバシーがなくて、皆精神的にまいってしまいます。そのため2006年の新潟中越地震の時から、学生と一緒に間仕切りを作る活動を始めたのですが、なかなかうまく進まず、今回の東北地方太平洋沖地震で初めてうまくいきました。間仕切りを作るといっても、実は簡単なことではなくて。その場所を管理している役人は間仕切りがないほうがいい、あると管理しにくいと平気で言うのです。あるいは、間仕切りの影で酒でも飲んでいたら困るとか、自分たちは家に帰って酒飲んでいるくせに、そういうことを言うんです。なので、1つ1つが2m角の、紙管を太い紙管と小さい紙管とを差し込んでカーテンをつけただけのものなのですが、そのようなデモンストレーションを2、3ユニット車に積み、役人に見てもらいました。意地悪な役人だと、これはちょうど更衣室にいいから二つだけ置いていってと言われたり、たまたま良い役人の人に会ったりすると、ああこれすばらしいから、ただでくれるんだったら、全世帯分とっておいてくれという良い人に出会ったり。あるいはたまたま行ったときに民主党の岡田さんがいて、彼がこれは良いね、というと、市長が全世帯分を支給します。と。まあ自分でお金出すわけではないのですが、鶴の一声で。このようなことの繰り返しで最終的に50か所の避難所で1,800ユニットを作りました。作らせてもらったのは50か所ですが、実際には70か所くらいの避難所を回って、車で運びながらデモンストレーションを繰り返してできていきました。この写真は岩手県の大月市です。ここは市庁舎ごと流されて役人がいないので、物理の先生が避難所である大月市体育館を管理していました。そして先生がすぐに間仕切りを作ろうと言ってくださって。住民も、自由に家族の大きさに合わせてアジャストできるからこれは良いと言ってくれました。また、やっぱり昼間は閉じこもるのではなくて、窓を開けたいし、周りの人と会話をしたいということで、最小限カーテンで間仕切りを作っています。2時間でこの体育館が、間仕切りで全部埋まりました。避難生活も長引いて、夏になって熱くなったときにハエが大量発生しました。お弁当を開けたら、ハエでお弁当が真っ黒になってしまうのです。それから夜になるとハエが出ますから、また元の避難所に蚊帳を吊って回りました。そんなときに宮城県の女川町の町長とたまたま知り合いました。当時よく新聞にも出ていましたが、被災地の海岸沿いには十分な平地がないので平屋の仮設住宅を十分に建てられないのですが、内陸部に作ってしまうと通いにくいので、みなさん敬遠してしまうという状況があったのです。女川も同じ状況で、女川の市長に3階建て仮設住宅をつくりましょうという提案をしました。この写真は政府が作っている普通の仮設住宅ですが、住宅間隔も狭い。でもこの仮設住宅と同じ面積でしか我々も作れないですし、予算も同じだけしかないのですが、何か工夫しようと。次の写真は野球場ですが、1,819世帯、2階建てと3階建てがあります。先程のノマディック美術館でやったものと同じで、方向は違いますがコンテナを市松模様に積みました。コンテナの中は実際狭いのですが、その中に子供部屋とユニットバスだけを入れました。その間の空間は比較的広いので、そこにリビング・ダイニングを入れました。基礎は、コンクリートを使わずに鉄板を敷き、その上に乗せるだけです。予算が十分にないものですから、収納は実際十分にはとれません。だから狭い空間ですが少しでも有効に使えるように、ボランティアの人たちにも参加してもらい、我々の手で収納を作って設置をして、改造をしてもらいました。また、皆さん車でどこか遠くまで行かないとない買い物ができないと困っていたので、坂本龍一さんに寄付していただいたお金でテントを作り、ここに龍一マルシェと呼んでいるマーケットを作りました。その他に、洗濯機や電子レンジを赤十字からもらっても置く場所がないので、それ用の棚を作ったりもしました。この写真は、坂本龍一さんが、森を守る運動をしているところからもらった間伐材を使用して、ルイ・ヴィトンからのお金で作った、紙管を差し込むとテーブルになり、抜くとちゃぶ台になる、そういうテーブルです。はい、次の写真は、千住博さんという日本画家さんから頂いたお金で作った、紙管でできた子どものアトリエ兼図書館です。

はい、次。これが最後ですが、今やっているプロジェクトです。東北の地震があったため皆もう忘れてしまったと思うのですが、3.11の数週間前に、ニュージーランドのクライストチャーチで大地震があって、日本人の語学留学生がたくさん被災されて亡くなりました。そのクライストチャーチから、有名なカテドラルが破壊されてしまったので、仮設で作ってほしいという要請がありまして。今建設中で、震災から2周年の来年の2月22日に完成する予定です。紙管で作っているのですが、実は紙管は構造ではないのです。もともと構造として設計したのですが、地元にある紙管屋さんに、構造として使う十分な長さと厚みの紙管が作れないと言われました。もちろん輸入したらできるのですが、輸入するよりは木で補強するなどして構造的なことを妥協してでも地元の材料を使うことにこだわって作っています。紙管と紙管の隙間から光が入るような、そういう構造です。これがもうすぐ完成します。まあ、こんなかたちで…もちろん僕も特権階級の仕事もやっています。モニュメントを作ることを否定している訳ではありませんが、そういうことをやりながらも、災害支援の仕事と両立していきたいな、と考えています。

平沼:ありがとうございます。

会場:(拍手)


>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT