坂 :これは違うプロジェクトで、韓国のソウルの南に作ったゴルフ場のクラブハウスです。僕はゴルフをやらないので、クラブハウスの中に何が入っているかわからなかったので、全くアイデアが無くて、非常に難しいプロジェクトでした。最終的には、実は小さい頃に庭でゴルフをやらされていたのですが、その時に使用していたゴルフボールを乗せるティーが木で出来ていて、その形を原型に設計しました。これは施工中ですが、さっきと同じジオメトリ、企画的なパターンなのですが、構造は全く逆で、さっきが吊り構造だったのに対してこれは一般的なコンプレッションアーチ、圧縮構造です。ですから、木を組むことによって、圧縮されるだけなので、同一面にしても全く強度が落ちないんです。それでこれも一切スチールなどのジョイントを使わずに、単純なコンプレッションアーチとして作った構造です。はい次行きましょう。このように一つ一つの部材が集まってきて柱を構成しています。よく西洋の教会に行くと、梁みたいなものが集まって石がジグザグした形をしています。柱は勿論石なのですが、石でできる前、エジプトなどではパピルスという木を集めて束ねて作ったんですね。石の柱はそのように細いものを集めて作っている訳ではないですが、その木の柱の原型が残って、ルネッサンスでもその以後現在でも、ジグザグの形をしているのです。力の流れをそのまま出して、部材が一つずつ集まってきて柱を構成するわけです。

はい次の話をします。これは1990年に小田原でお祭りがあった時に作った仮設のホールです。紙を構造として使うためには、当時は建設大臣認定と呼んでいた認定をとらなくてはいけないのですが、まだこの時はそのような認定が取れる前で、鉄骨の白い柱がところどころにあって、屋根のスペースでもたせています。だから、この写真に写っている長さ8,330mm、直径550mm、厚み15mmの紙は、主体構造としては使われておらず、風の力を主体構造に伝えるだけのものとして使っています。直経550mmですが、一部直経2,200mmの主管があって、中がトイレになっています。で、いざトイレットペーパーがなくなったら、中の壁をむしって使えるようになっております(笑)。

その後やっぱり構造体として紙を使いたいと思ったのですが、なかなかそのような建築物を頼まれないので、自分の別荘を設計して建設大臣認定をとりました。ですが、実際それを建てるお金がなくて、そうしたらちょうど三宅一生さんから小さなギャラリーの設計を依頼されて、その認定を使って作った8メートルのパーマネントな紙の建築の建物を作りました。柱で影ができて、その影が時間を追って移っていく、そんな単純な構造です。はい次お願いします。この設計を請け負ったことで、やっと自分の別荘を実現することができたのですが、忙しくなってしまって週末なんてないものですから、全くこの家を使っていなくて。使わない家を作ってしまったんですね。

これは2000年にドイツのハノーヴァーで万博があった時の日本館です。運よく憧れの建築家、フライ・オットーさんとコラボレーションすることができて、木のグリッドシェルを紙で実現させました。この万博のテーマが環境問題だったので、日本政府としてもリサイクル材を使ってほしいということでしたが、そもそも万博というのは、たくさんの仮設建築を作って、それを半年で壊してしまうため大量の産業廃棄物を出してしまうので、それが一般的に問題点でした。つまり、環境問題をテーマにしたにも関わらず、実際は、我々がたくさんのごみを出す建物を作っていたわけです。そのため、普通建築は建物が完成した時がゴールなのですが、僕は、建物が解体されたあとをゴールとして設計しました。ゴミがなるべく出ないようにリサイクル、リユースできるような材料の選択、それから構法の選択も考えながら設計し、地元のメーカーと協力して、ここで使う材料を解体した後に買い取ってリサイクルしてもらうようにしました。地元の紙管屋さんで作った直経12cm、厚み22cmの22mmの紙管を、シートベルトなどに使う不燃性の布を使ったテープでとめています。また、基礎はコンクリートを使うとリサイクルしにくいので、木で箱を作り、中に砂袋を詰めてコンクリートの基礎の代わりにしています。幕も、普通は塩ビ幕など使うのですが、塩ビ幕はあまり環境によくないので、太洋工業と協力して、ドイツの基準にあった防水性能がとれるような幕を、紙で作って使いました。建設方法ですが、まず平らに紙管を置いて、1,000本ある黄色い垂直の仮設材を手で回して少しずつ上げながら、三次曲線を描いていきます。毎日毎日ちゃんと計算通り上がっているかどうかを、アンテナを立てて衛星からGPSを使って状態をチェックました。ローテックな建設方法なのに唯一ここだけハイテックな方法を使用しました。

次は災害の話になりますが、1994年にルワンダで内戦があり、大虐殺がありました。かなりひどい状況で200万人以上の難民がでまして、たくさんの人たちが毛布にくるまって震えていたんです。アフリカって暖かいところだと思っていたのですが、国連から貰うシェルターがあまりにも貧しいものですから、雨季の寒さを凌げなかったのです。じゃぁ、シェルターを改善しなくてはいくら医療活動をしても意味ないのではないかと思い、ジュネーブにある国連難民連勤官署の本部にアポなしで訪ねて行きました。運良くドイツ人の建築家でシェルター担当の人に会うことができ、その人を口説き落としてコンサルタントに雇ってもらって、この開発をやらせてもらいました。国連は、4m×6mのプラスチックのシートを難民に与えるだけで、難民は木を切ってそのフレームも自分達で作らなければならず、このようにして出来たのが、典型的なアフリカのシェルターです。そのため二百万人もの人たちが木を切ったので、大量の森林伐採につながり大きな環境問題になりました。そこで国連はアルミのパイプを支給したのですが、アフリカではアルミは非常に貴重な材料なので、皆お金のために売ってしまって、また木を切ってしまう。この辺りはもともと森だったのですが、全部木が無くなってしまって、さらにもっと遠くまで皆木を切りに行きました。そのような状況で困っていた時に、たまたま紙の構造を提案したので、コンサルタントに雇ってもらうことができました。
右上の写真の建物は、スイスのヴィトラという有名な家具会社にサポートしていただいて建設しました。この会社の敷地には、フランク・ゲーリーが作った家具の美術館と工場、その後ろに安藤忠雄さんが設計されたセミナーハウス、右に行くとニコラス・グリムショウが設計した建物や工場があって、さらにもっと右に行くと、ザハ・ハディッドが設計した自前の消防署があります。それぐらい、世界最高の建築のコレクションをもった会社なのですが、僕のテントはこの会社で一番安いコレクションです。

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