2 1 7[ nie - ichi - nana ] 第13回

日 時 :2012年 8月 31日 PM 7:00〜
会 場 : 本町ガーデンシティ 1階ホール

ゲスト : 藤森照信
対 談 : 芦澤竜一 平沼孝啓

AAF:それでは、1時間半以上も前に会場に並んでくださった方たちもいらした中で、皆さまお待ちかねのことと思います。これより2012年度 第3回目の建築レクチュアシリーズ217を始めさせていただきたいと思います。司会をさせていただきます、AAFの田中天と申します。どうぞよろしくお願いします。

平沼:こんばんは。平沼です。今日もよろしくお願いします。

芦澤:こんばんは。芦澤です。よろしくお願いします。

AAF:さて皆様もよくご存知かと思われますが、まず藤森照信さんのプロフィールを簡単に説明させていただきます。建築家、藤森照信さん。1946年長野県生まれ。東北大学建築学科卒業後、東京大学建築学専攻博士課程修了されておられます。現在は、長らく在籍された東京大学教授を経て工学院大学教授、東京大学名誉教授をなされています。主な建築作品に、タンポポ・ハウス、東京都国分寺市や、ニラ・ハウス、東京都町田市などがあります。また「建築とは何か 藤森照信のことば」や「フジモリ式建築入門」など多くの著書も出版されています。一昨日、日本館が金獅子賞を受賞したとの朗報がありましたベネツィアビエンナーレでは、2010年の日本館コミッショナーを務められました。また、ドイツ・ミュンヘン・ヴィトラシュトック美術館にて現在、藤森照信建築展を開催されています。
それでは藤森さんにご登場して頂きます。どうぞ拍手でお迎えください。

藤森:どうぞ、よろしくお願いします。

平沼:こんばんは。今日もこのためだけに大阪にお越しくださった藤森さんです。時間の制限のある中ですが、どうかよろしくお願いします。早速ですが、足元にある前のモニターが藤森さん用のモニターです。同じものが、後ろのスライドに映写されております。 
まず、失礼をしますが、簡単な自己紹介をしていただいてもいいものですか?

藤森:あっ、はい。藤森でございます。今日ちょっと夏風邪をひいてしまって声が掠れてしまうかもしれませんが失礼いたします。私は、長らく歴史の研究に取り組んできまして、45歳の時にたまたま依頼があって、設計をするようになりました。今、65歳でございまして、大学院の卒業から数えると、ちょうど20年間歴史の研究をして、それ以降、歴史と設計を並行して20年間取り組んでいるような状態です。だから建築家としては20年目。年齢からの世代としては安藤さんとか伊東さんが同世代ですが、彼らが若いときには、私はむしろ歴史家とか、批評家としてしか一緒には付き合ってなかったのです。だからまー、建築家としては、そー、40代くらいの若々しい感じなんですね。

平沼:いやー、(笑)40歳というと僕たちの今と同じくらいになってしまいます。
僕は、90年代にヨーロッパで学生生活をしていたら、「フジモリっていう日本の建築家はどんなのだ」ってよく聞かれていたのです。

藤森:平沼さん、変な建築家っていったの?

平沼:いやー、(笑)その頃、日本ではやっぱりそれまでの歴史家っていうイメージがついていらして、でも、特に作品集なんかもまだ出されていなくて、作品だけが写真情報として飛び交っていました。それが特にヨーロッパでは、ヴァナキュラーなことが不思議に、そしてアヴァンギャルドに映っていた。その頃の学生間で話題になっていた凄いっていうところを今日はひとつお聞きしたいなと僕は思っています。まず時系列に、恒例の質問からはじめさせていただきたいのですが、なぜ建築をやろうと思ったのですか?

藤森:子供の時から割と、大工さんの仕事が好きだったのです。それで大学に入ってから建築の分野に進んだのですが、大学院に入る時に設計はやめようと思って、もう大学院からずっと歴史以外やってなくて、45歳の時にたまたま、田舎の史料館を役所から頼まれたというのが元です。ちょうど歴史の研究では日本の近代建築のまとめを書きたいなっていう希望があって、それまで一応20年間、歴史の研究やってきて、ちょうど書き始めた時期でした。それと同時に、歴史家としての仕事はこれでいいなと思っている時期も重なって、たまたま設計の依頼が親しいところからあったものですから、取り組んだのです。 一応、その時点で、設計の自信はあったのですよ。(笑)

会場・平沼:(笑)はい。

藤森:でもね。設計への自信はあったのだけど、それまで取り組まない気持ちでいたから、少し迷った。それはね、設計への自信があったからで、私が親しく付き合った建築家たちは私よりどう見ても腕がいいと思う人としか付き合わなかったからです。

平沼:失礼でなかったら、どなただったのですか?

藤森:それは、安藤さんであり石山さんであり、伊東さん。結局ね、私にはできないと思うことをやっている人としか付き合わなかった。

平沼:なるほど。

藤森:建築家とは、ね。

平沼:はい。(笑)

藤森:今にして思うとね私が45歳で処女作を作って、ほとんどの建築界の人が、なにを藤森がやろうとしてるか分らないって言ったんです。いったい、とにかく変な、みんな当時としてはみんなでした。でもね、そんなときに、その安藤さんや石山さん伊東さんが、「お前がやろうとしていることは何だかわらないけれど、何だか重要なことのように思うからやれ」って励ましてくれた。それがなかったらもうやめてたんじゃないかな。

平沼:なるほど。

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