家成:
ちょっと急に堅い話を入れてきてしまって、どうしようかと思うのですが… いわゆる箱物建築と言われる建築があるということを、皆さんご存知だと思うのですが、ただ、建築の多くは高度な産業技術によって成り立っており、それが建築を建てる行為そのものを我々から遠ざける原因になっているのではないかと思います。
それで、箱物建築の課題一ですが、建築は一般的に設計者と施主という二元的構造をもっているが、施主は設計者の提案を受け身的に判断するしかない状況であり、設計者の経験という、本当の意味では共有できないものを信じるしかありません。しかし、施主が積極的に参加し、創造力を発揮できる設計プロセスをつくることで、自分の経験として建築を考えることができるのではないでしょうか。予め具体的なイメージを、皆が共有するのではなくて、互いに差異を深く内蔵したまま、緩やかに繋がる中体のような建築ができるのではないかというのが、集団のクリエイティビティではないかな、という感じがしています。例えばレイブパーティーというのは、DJだけでは到底成立しないですよね。そこに参加する客層がいて、初めて空間ができてくる。そういう状況をどうつくっていくかということが、すごく大事ではないかと考えています。
多様性というのがこういうかたちである訳ですけど、これは、ここにいる一人一人皆さんが特異で特殊で、可能性に満ち溢れています。ところが、それをあるマジョリティへと変換する装置によって、僕たちの可能性というのはどんどん少なくされている訳です。それによってある一つの基準となるモデルみたいなものに、僕たちがどんどん吸収されてしまう。それは、アンケートによる視聴者とか、世論みたいなものです。例えばこれは「どっちの料理ショー」という番組なんですが、この中で冬の洋食ならカキフライとクリームコロッケ、どっちがいいですかという質問があります。これで思わず、カキフライと言ったらやられてしまっている訳ですよね。ここでは本当は、カキフライを選んでもいいし、クリームコロッケを選んでもいいし、どっちも選んでもいいし、どっちも選ばなくてもいいし、カレーを選んでもいい訳です。メディアというのは、大概こうした二項対立を差し出すことによって、僕たちの可能性をかなり損なっています。そこを注意しないと、僕たちの創造性を発揮する場所というのは、なかなか難しいと思います。つまり先ほどの話ですが、一人のすごい発明者がつくれるものも、もちろん世の中にはあると思うのですが、たくさんの無数の人々との協力と調整によってつくっていける発明もあるのではないかと思っています。それが集団のクリエイティビティということです。
それから課題二の方では、建築をつくる道具をちょっと考えてみましょう、ということを言っています。デザイン研究者の水野大二郎さんとタンポポの家という福祉施設の方と一緒に協働したプロジェクトです。創造的行為としての行為者の日常的実践における建築を再認識して、新しいデザインを生みだそうと、リードユーザーとしての障害者のためのデザインではなく、障害者と共にアイデアを見つけ出そうというものです。民俗学的な手法を援用したデザインリサーチを通して、より的確に問題理解ができるのではないかと。建築をつくる「道具・工具」を再評価し、どのような行為が日常的に困難か、どのようなリデザインの可能性があるかを検証しました。まず障害者の人たちに集まっていただいて、そこで道具をずらっと机に並べて、一個一個の道具の使い方の説明から始めました。例えばこれは、盲目の人が鋸で木を切っていくときに、どういった不具合があるかということを、ここで発見していく訳です。例えばこれは、身体のほとんどが麻痺している人がテープを切りにくいので、どうしたらテープを切りやすくなるのかということを考えたり、車椅子に乗っている人は相当屈まないと車椅子のメンテナンスができないとか。そういった中で、これは非常に握力が弱い人のためのコンパスですが、もう少し握るところを大きくして、書くのは鉛筆ではなくてマジックの方がコンパスとしては使いやすいのではないかと。このような試作を、20分くらいで素早くラピッドプロトタイプをどんどんつくっていくことをやりました。これは、車椅子のメンテナンス用のドライバーです。これは、握力が非常に弱い人が片手でコンベックスを引き出すためにはこうあった方がいいのではないか、とか。これは弱視の人がビスの命中率を上げるために、ビスの先をマジックでただ黒く塗るだけで、ビスの命中率がすごく上がるんです。あるいは、トンカチで叩くときに自分の手を叩きそうになるので、左手で釘を持つのが怖い人のためのサポーターであったり、あるいはトンカチを離すだけで打てる仕組みというのがこういうことではないか、とか。これも釘のサポーターです。これは弱視の人のためのテンプレートです。あとは、カッターは本来こうあった方が握りやすいのではないか、とか。ハサミも両手で使うなら、こういうかたちが良いのではないか、とか。テープはもう少し土台に重みがあれば、ガムテープも切りやすいのではないか、とか。盲目の人のための鋸とは、切る刃のすぐ上に持ち手があった方が、自分がどこを切っているのかということが認識しやすいのではないか、といったかたちで、道具をどんどん開発しました。
そして、不慣れな工具を使わずとも身の回りにあって使えるもの、安価で自由度が高く、身の回りの資材を代表するものということで、スーパーマーケットでもらってこれる段ボールで、障害者の人や学生の人、皆で小さなシェルターをつくっていこうというプロジェクトを始めました。レゴのように誰でも組み立て可能で、自由なかたちが行為者の意図に応じ、ときに予想もしえないような形成ができるモジュラーの検証と、その工法を再検証しようというものです。ここから、障害者の方と学生の皆さんと、段ボールをどのようなピースでどう結びつけていけば、どんなかたちができるのかということのワークショップをやっています。例えばこういうかたちができるとか、こういうのもできるとか、こうすれば立体に立ち上がっていくということをやる訳です。その段ボール一つのピースを切り出すためのテンプレートの試作を障害者の方にも体験してもらって、実際にどういう不具合があるかということを検証します。さらに、そのピースを折り曲げるときにどういう不具合があるかということも、同時に検証していきます。そうしてできたのが、一番左にある段ボールのピースで、ここにも今持ってきているのですが、一つのピースが20cm×50cmくらいです。奥にあるのがテンプレートです。これと、下に転がっているHのピース、この二種類を組み合わせることで、色んなかたちがつくれます。それでまずは、構造的にもつ仕組みを考えようということで、柱的なものだったり、アーチもあるかな、とどんどんかたちを膨らませていく。それで、勝手に公園に持っていってつくる訳です。例えば、こういう東屋にこれを建てることで、結構プライベートな空間を公共の場所につくってしまうこともできる。こういうことをやっていると、公園の管理者に、これは許可をとっているのかと言われ、お茶を濁す訳です。もし濁しきれなかった場合は、非常に軽いので、そのまま持って退散し、公園から事務所に持って帰ってきます。(笑)
構造というのは都市の中には結構たくさんあります。藤棚とか滑り台とか、さっきの東屋もそうですけど、その構造を利用して、もうちょっとスキンのような、表皮のようなものをこれでつくっていく寄生型の建築もできるなぁということで、こういうことをやっています。これは明治学院大学でワークショップをやったときの写真で、子供にも参加してもらって一緒にやりました。これは東京オリンピックのときに地域のコミュニティを分断した大きな道路ですが、その横断帯で信号待ちしている様子です。


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