平沼:豊田に注目しています。そして坂さん。この檀上から見渡すと今日の会場に来られた聴講者の方たちの年齢差が大きく、幅広い世代が坂さんの活動に興味を持たれているのが伺えます。そして若い方たちも2〜3割ほど来られています。坂さんの建築のお話を聴いていたら、きっとなんでも提案できるんじゃないかと期待を膨らませながら、みんなワクワクしていると思います。坂さんはこれからの時代の建築の可能性をどのように感じておられますか。

坂:そうですね。でもね、僕は割と自分で保守的だと思っています。もちろん新しい技術がどんどん発展していきますよね。特に医療やバンキング、世の中のどんな領域もコンピューターの進歩により技術の進化に伴ってその領域が広がり発展します。でもね、建築は唯一、技術の進歩と良い建築というのが反比例するのではないかと思うのです。ご存知の通り、何百年前に技術がなかった頃の建築の方が今の建築より人を感動させてきました。それはより時間をかけてデザインし、より時間をかけてつくったからだと思っています。技術が進んで、誰でもより早く簡単に設計できるようになると、つまり人が感動するような建物にはならないのですね。多くの分野の中で珍しく建築というのは、技術の進歩と感動が比例していない。プリツカー賞をいただけた時に記者会見があって、中国人の友人、ワン・シュウが立ち会ってくれたのですが、その時に記者が僕へした意地悪な質問を彼が代わりに答えてくれたのです。その1つの質問がやはりコンピューターやAIに関することで、「坂はコンピューターを使い自分で設計するのか」という、デジタル技術に関する緻密な質問でした。その時に、ワン・シュウは「コンピューターで図面を描くこと、それは直接脳に繋がっている。手描きで絵を描くということはハート(心)に繋がっている」と答えました。僕はあー、良いこと言うなと思いました。どれだけ技術が発展しても変わらないことだなぁと、あらためて感じました。僕は、未だに手描きのスケッチから描いていますが、自分の手を動かして描いたり、つくったりすることは、これからもずっと大切な可能性ではないかと思います。

平沼:とても良いお話をお聞かせいただきました。機能を満たし経済効果を目指した建築は、時代の合理性を追求され、数十年間の利回りを取得されれば役割を終える。そしてスクラップされるような建築に希望や感動なんて与えられませんね。建築が何の為に存在してつくるのかをもう一度、世の中全体で考える機会が必要です。それでは最後のパートのスライドをお願いします。

坂:はい。最後に少し災害支援のことをお話しさせてください。スウォッチのコンペが始まった時に、ちょうど東北の地震が起こりました。ほんの2週間前にニュージーランドのクライストチャーチで地震があって、富山県の留学生28人がみんなビルの下敷きになって亡くなってしまったんです。これが街の中心にあったこの街のシンボルである英国教会だったのですが、神父さんから連絡があり、タダで建築設計してくれる建築家らしいねと言われたので、もし宗教的な理由だけでなく、コミュニティのために使われるのならやりますよと言ったら、ぜひ来てくださいと言われました。その時スウォッチのコンペに勝って忙しくなるわ、東北の地震で毎週東北に行くわ、ニュージーランドにも2ヶ月に1回通い始めるようになって大変でした。まずやったことは、元のプランをもらって分析してみることでした。すると古い建物なので黄金比とかが、色々出てくるんです。その幾何学のルールを、新しく自分が設計するものに当てはめていきました。足元がコンテナ、そして紙管で教会をつくりました。今この教会は街のシンボルになっていますが、沢山のツーリストが来るんです。多分トランジッショナル・カテドラルと言っていますが、パーマネントに残るのではないかと思います。例えば赤坂見附に丹下健三さんが設計したプリンスホテルがありましたよね。あれは30年保てなくて結局、壊されて新しいものが建てられました。コンクリートの建築もディベロッパーがお金儲けのためにつくった建築はテンポラリー、仮設なんです。けれど愛してつくれば、たとえ紙でつくったとしても一生残るんです。神戸で作った教会が10 年経って台湾に寄付され、未だに使われている。だからこれを作っている時にも何が仮設なんだろう、何がパーマネントなんだろうと思いました。これは2014年にフィリピンで地震があって、学生と一緒に行った時の写真です。次は2015年ネパールですね。ネパールのレンガのまったく耐震性のない建物を木のドアフレームとレンガを使って、日本で実験をして、日本の耐震基準に合う住宅と、学校を作っています。これは熊本地震の際、間仕切りを作りに行ったり、ベッドを作ったりした時の写真です。これは先ほどのパネル工法で地元の学生や事務所の人達が来て手伝ってくれてつくった一軒目の仮設住宅です。東北の時もそうだったのですが、間仕切りやりましょうと避難所に言っても事務所の人はそんなの前例がないと言ってやらせてくれないんです。だから東北でも最初の3ヶ月50箇所回りましたが、1つもやらせてくれなかった。そのことから学んで、色々な防災の日などに行って、コミュニティのためにこういうものを作りましょうと役所を説得したりしています。それが功を奏して京都市や大分県など色々な都道附県とうちのNPO団体とで防災協定を結んでいます。これは調印式です。日本全国の都道府県を回って説得して防災協定を結んでいて、そのおかげで熊本地震があった時は、大分の防災協定を使ってすぐに応援できたんです。ですから平常時にコミュニティをいろいろとトレーニングする活動をしています。

平沼:ありがとうございます。最後に芦澤さん、何か質問はありますか。

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