平沼:前回は、2012年10月10日にお越しいただき、当時、開催3年目のレクチュア・シリーズは、まだまだ不安定な開催だったのをですが、坂さんのご登壇から大きく変わりはじめたのを覚えています。坂事務所で長らく秘書を務められている上野さんに今回のお願いでご連絡をしました時に、「えっ、まだ続いてたの? 凄いね!」とお褒めをいただきました(笑)。

坂:(笑)10年間も継続するというのは、凄いことですね。

平沼:ありがとうございます。当時から坂さんは海外へ頻繁に出られていた印象ですが、どれくらいの頻度で行き来されていますか。

坂:2004年以来15年間、パリと東京を1週間おきに行き来する生活をずーっとしてるんですね。

平沼:その頻度でロングフライトされて、パリ周辺のヨーロッパ諸国や東京周辺のアジア諸国にも行かれていたら、どこで取り組まれた出来事か覚えきれませんか。

坂:記憶が保てなくて、ですね(笑)。

平沼:いや、本当にそうだと思います(笑)。それでは早速、プロジェクトのご説明をいただくのですが、会場の皆さまへひとつお願いがあります。坂さんにも、毎回のゲスト建築家同様、この日のためにおつくりくださいましたスライドをお持ちいただいています。貴重な写真もお持ちいただいていますので、どうか写真や動画などは、絶対に撮らないでいただけますようお願いいたします。

坂:前回レクチャーの続編を聴いていただこうと、新しくスライドをつくろうと思いました。その時に「貴重な」というのは、スタッフらが止める中、未発表の写真をいくつか挟んで持ってきてしまい「絶対見せるなー!」と言われたので、今日はこっそりお見せします。

会場:(笑)

坂:もし見つかったら叱られるだろうな(笑)。

会場:(爆笑)

平沼:(笑)会場の皆さま、そしてホワイエで中継テレビを観られている方、レクチュア・シリーズの存続のため、どうかご配慮ください。それでは、坂さん、スライドの説明をお願いします。

坂:はい。今日はポンピドー・メス、クライストチャーチ以降から最新作まで、特に木造を中心にみていただこうと思います。最初のスライドですが、これは7年前にもお見せした、木造を始めるきっかけになったポンピドーセンター・メス。お二人はご存じのように1977年にレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースらがつくったパリのポンピドーセンター。これの分館をフランス東部にあるメスにつくるプログラムでした。2003年に国際コンペが始まったのですが、僕が生まれて初めてコンペを取ったのがこのプロジェクトとなりました。そしてこのコンペを獲った時、パリに事務所をつくることにしたのです。なぜかといいますと、今まで大先輩の大建築家、例えば磯崎さんにしても、安藤さんにしても、海外でコンペを取って、その後、実際建ったのを見に行きますと、コンペの当時出していた案と、実際建っているのが随分違う印象を持ちました。決してその作品が悪くなっているとかそういう意味じゃなくて、提案が変わっていることに違和感を持つのです。その原因をいろいろと調べてみると、海外で建築を設計する大抵の場合、我々は地元の免許を持ってないからローカルの建築家と組むわけですけれども、我々がローカルの建築家を指名し雇ったにも関わらず、いつの間にか彼らは我々の敵になってしまうのです。なぜかというと、僕らみたいなわがままな建築家の言うことを聞いていると、予算が大幅にオーバーしたり工期が伸びたり、いくつかの理由がありますが、彼らは地元の人達ですから、その後何十年も地元の施主と付き合って、メンテナンスしたりしなくちゃいけない。だから結局わがままな我々の言うことを聞くより、施主の言う事を聞いて、工期を合わせ、なるべくあんまり実験的なことや難しいこと、後でメンテナンスが大変そうなことを止めさせて作る。ですから思った通りにできないことが非常に多いのです。日本では施主もすごく言うことを聞いてくれますし、コンペに勝ったりあるいはその建築家が有名だったりすると、その通り作らせてくれます。それからご存じのように日本のゼネコンはほんと世界一で、建築家をサポートして、やりたいことをなるべく忠実にやろうとしてくれます。これは実は世界的にも異常なことなんです。海外に行くと、ゼネコンが我々の敵とは言いませんが、やりたいことを叶えてくれません。それから施主もいわゆるステークホルダーやボードメンバーなど、口を出す人が沢山いて、なかなかコンペを取ってもやりたいことをやらせてくれないのです。それが現実で、普段スタッフを送りこんで自分がたまにしか行かないと、施主にやられてしまう。だから海外に行ったら自分で喧嘩しないといけないんです。事務所が日本にあって、海外の建築家を雇っていたらやはりうまくいかないので、ポンピドーセンターの時は自分にとって素晴らしいチャンスだと思って、絶対つくりたいものつくりたいと思いました。そのためには自分で乗り込んでいくしかないと考えてパリ事務所をつくりました。しかし、パリは家賃が高くて事務所をなかなか借りられなくて、ポンピドーセンターの館長に会った時、「屋根かテラスを貸してくれたら、自分たちで仮設事務所をつくります」と言ってみたところ、「それは面白いね、もしいろいろな偉いお客さんが来た時に、君の事務所の中を案内して新しくポンピドゥーセンターにこんなものができるよと、ギャラリーのように見せられたら非常に良いし、そういうことをさせてくれるのならテラスを貸しますよ」と言ってもらえました。それで、ジョージというレストランの横のテラスを貸してもらい、夏の間、日本の学生とフランスの学生が3カ月間で、ここにある紙管で作った構造の建築をテラスの上につくってくれたんです。素晴らしい夜景が見える場所で、ここではいろいろな経緯があって、6年間居候して家賃を全く払わずにいました。本当に気分が良かったです。毎週1週間置きに、今でも通っています。でも今は完成したので追い出されちゃいましたが。ただ、当時友達が日本から遊びに来て僕に会いたいと言っても、僕らは展示物のひとつなので1階で入場券を買わないと、僕に会えないという、そういう不便な状況がありました。

会場:(笑)

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