樋口:やっぱり、鞄持ってちょっと放浪した方が良いね。

芦澤:そうですね。

樋口:君は?

平沼:いやー、あんまり。

樋口:こういう講演ばっかりやってちゃあ頭が悪くなるよ。貧しいしね。

平沼:ははは。

樋口:これ、縄文時代の物。不思議なものが出るよね。

芦澤:縄文の土器ですか。

樋口:確か東北方面。不思議でしょ。要するに土を掘れば掘る程、新しい発見がある。

芦澤:不思議ですね。

樋口:これはもっと不思議なんだけど、妊娠した人が、2ヶ月ぐらい経つと、赤ちゃんはこういう形になって、これ1センチぐらいしかない。三木成夫さんが分析するんですけど、最初は、爬虫類。だからサリドマイド児なんかでてくるのは、わかる気がして。それから両生類。哺乳類、人間と、たった一週間ぐらいで変わるんですって。生物の進化では1億年かかっている。そして、いま僕がいるわけですね。生命の記憶っていう、さっき放浪って言いましたけど、これは色々人によって違うんでしょうが、循環している、あるいは放浪してふっと生命がとり憑くみたいなことを考えないと、命の謎はわからない。もう一つは、連続してるんだけど不連続であるっていうようなことを考えないと、ね。
というわけで、多少建築家っぽく、台湾に入ります。みなさん知ってるのは主に、台北を北にして西の方、台中、台南、高雄とか。僕たちが事務所を構えてやってるのは東です。雨がいっぱい降ります。宜蘭縣。水の王国です。だから彼ら、雨が降っても全然驚かない。一年に300日雨が降ると言われている。夜はみなさんがご存知の風景。台湾っぽい。こういうの見ると、痺れるよね。つい飲んでしまう。

芦澤:ははは。

樋口:そこで、僕たちは冬山河という河の公園計画および周辺地区の美化、自立計画をまかされる。これ実はベーロン、及びレガッタのコースなんですけど。それが1987年頃。僕は、ものができるっていうのは、建築家なんぞは、力は1%か10%か分からんけど、そのくらいで、やっぱり時と場所が、大きく影響すると思ってます。特に、この時、台湾では初めて、政党をつくる結党の自由、あるいは言論の自由が認められます。長いこと、50年間日本が植民地化の後。蒋介石が来て、日本以上に自由を奪う。1987年にやっと、彼らは自由を得る。で、何が起こるかって言うと、みんな発情して興奮する。だから僕らが頼まれた県からも、我々の街、我々の国、自分の故郷を自分たちでつくる、という言葉が出てきます。我々の国を我々がつくるという。僕がたった一つ質問したのが、なぜ僕らを呼ぶのか。その時ありがたいなあと思ったんですけど、考え方が同じだと。一方ではインターナショナルに考えて、一方では我が街は俺がつくるという非常に明快な。日本にはないですね、特に今の日本には。堕落した日本には残念ながらほとんどない。強いていえば、小さな村、街に可能性がある。大阪、東京等の大都市には未来はない。

芦澤:ふふふふ。

樋口:要するに、大都市に、もう僕たちがやるべき仕事はない。超高層や巨大な建築をつくってはいけない。
この時、僕たちは台湾中を歩きます。本当に、素材からの出発といいますか、何を使っていいのか、使いたいものがない。この時やったのが、まず廟の、お寺の瓦になってる瓦屋さん。それから、昔から組積造がありますから、煉瓦。それからガラス、あと海岸の玉石、そういう素材を。もう一つはすごく面白かったのは、職人がいなかった。全部素人。大雑把に言うと、農業やってる人、農民ですね。だから農繁期には現場から職人が全部いなくなる。畑にいる。僕らにはすばらしい環境だったけど大変。

芦澤:兼業の、職人さんってことですね。

樋口:まあ、兼業だね。ていうか農業が主で、ついでに土も掘ろうか、石も貼りつけようか。ありがたかったのは、すごく一生懸命。海岸で、例えば僕たちが、直径8センチの玉石を集めてという。まじめすぎてみんな8センチになっちゃう。もうちょっと幅もたせばよかったと思うんだけど、おばちゃんたちが拾って。できたものが、なんか大勢のそういう力が集積されている。僕が見て思うんだけどね。実はこれ観覧席つくったんだけど、意味なかったね。人で埋まって何も見えない。ちょびっと見えるでしょ。見えない? 見える?

平沼:見えます。

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