樋口:樋口です。今晩は。
平沼:簡単に自己紹介をお願いします。
樋口:まず、重村と有村いますか? 象設計集団をつくったとき、樋口、富田、大竹、この二人もほとんど同時にやってますので。特に「いるか設計集団」をやってる有村さんはこちらで活躍してますのでご紹介します。拍手。
会場:(拍手)
芦澤:よろしくお願いしまーす。
平沼:よろしくお願いします。
樋口:まあ、とにかく始めようか。時間もないし。
平沼:はい。はは、ははは。
樋口:自己紹介はまあ、いいでしょう。始めましょう。
平沼:これね、ちょっとだけこういう、どんな少年時代でしたか、とか、質問があるんです。
樋口:質問があるんだ。そうか。
平沼:そうなんです。ルーツを知りたいなと思っていて。どうやって設計を始めていったのかっていう。どんな少年時代でしたか?
樋口:今年77になるんですけど、戦後第一回目の小学生だったんです。
平沼:はい。
樋口:一年前の人は、黒い墨で消された教科書を使って、僕達は新生小学校1年生。戦後すぐだから、ほんとに学校も無かったから僕はアルミ工場の廃屋で2年。床は土間でね、土。間仕切りベニヤ。学校っていうのは、ああいう方が良いね。
平沼:なるほどなるほど。うんー。どんな学生時代でしたか。
樋口:僕、建築をやろうと思ったのは吉阪隆正先生に出会ってから。大学4年終わってから気が付いたんで。
平沼:はー。
樋口:大学時代は3分の1を山登り、3分の1を麻雀荘に居ました。それから3分の1をアルバイトと試験。早稲田ってその頃良い学校で、試験だけ受ければ上に行けた。
芦澤:なるほど。
樋口:設計製図なんか受けなくても上に行ける。100人いると40人くらいが課題を出さないから、落第させると大学が破綻する。そういう良い時代。
芦澤:良い時代ですね。
平沼:ははは。
樋口:極力学校行かない方が学校も喜ぶ。それと、僕らの頃は60年安保、僕は直接活動に関係は無かったけど。学校を休むっていうのは一つのステータスでね。
平沼:なるほどなあ。
芦澤:ははは。
樋口:学校なんて行っちゃいけない。行っても外に居て、重村なんか得意だったけど、“学友諸君!!”とか言って。
平沼:ははははは。はい。 |