2 1 7[ nie - ichi - nana ] 第38回

日 時 : 2016年 6月 10日 PM 7:00〜
会 場 : 大阪・梅田 グランフロント大阪 ナレッジシアター

ゲスト : 千葉学
対 談 : 芦澤竜一 平沼孝啓

平沼:こんばんは。

芦澤:よろしくお願いします

平沼:早速に自己紹介をお願いしていただいても良いですか?

千葉:今、紹介していただいた通りですけど、千葉学といいます。東京で長年設計活動をしてきていますが、大学でも教えているので、設計をしながら、半分はリサーチプロジェクトをやっています。今日はよろしくお願いします。

芦澤:よろしくお願いします。

平沼:まずはどうやって建築家になられたかをお聞きするのを初めに、月並みですけど、どんな少年時代を過ごされましたか?

千葉:僕は東京の世田谷で育ったんですけど、その頃は、今みたいな住宅地ではなくて、半分ぐらいは畑とか空き地のようなところでした。だから子供のころは、空き地で遊んでいる事が多かったと思います。学校では図画工作とか音楽とか、何か物をつくるような授業が大好きで、将来は絵描きになりたいとかピアニストになりたいとか、そういう夢ばかり追っていた感じですね。

平沼:へぇ、体育は得意でしたか?

千葉:体育は不得意でした。あまり体が丈夫ではなくて、よく休んでいました。
芦澤:世田谷のどちらだったんですか?

千葉:世田谷の桜丘というところです。馬事公苑という、オリンピックで馬術の競技場にもなった馬場のすぐ近くです。

平沼:そんな千葉さんの学生時代はどんな感じでしたか?

千葉:中学生ぐらいの時に建築をやりたいと思ったんですね。でも高校生になってから建築はやめようと思って、ところが大学を受ける直前に改めてやっぱり建築をやりたいなと思って、それで大学に入りました。大学に入ってからは、設計に没頭していましたね。建築は本当に面白いと思いましたし、設計には夢中になっていました。でも設計以外の授業にはあまり興味を持てなくて、学生時代は製図室に泊まり込んでいるか、海に遊びに行っているかのどっちかでした。

平沼:ちょっと待ってください、建築をお好きになられた理由って何ですか?

千葉:建築を好きになった理由は、やはり父親の影響が大きいと思います。父親は日本の映画の全盛期に日活の美術監督をやっていたので、よく撮影所に連れて行ってくれました。そこはモノづくりの現場ですから、刺激的でしたね。その後父親は、大阪万博の仕事にも関わるようになったので、よく大阪にも連れて行ってもらいました。大阪万博は、できてからよりも、現場の記憶の方が強く残っています。そんなこともあって、やっぱりモノづくりは面白いなって思ったのが一番大きいと思いますね。

平沼:映画の世界は映画の世界で素晴らしいですけど、少年期だと憧れる物があったと思うんです。実はみたいな話ってないですか?

千葉:万博の跡地に黒川紀章さんが国立民族学博物館をつくりましたよね。あれを中学生の時に見に行ったんですね。その時に、建築の良し悪しはよくわからなかったんですが、ある一人の人間が考えた事が空間になって、しかもそこを体験できるのは素晴らしい事だなと思いました。何かその人の頭脳の中を体験できるみたいな。それは、すごく良い仕事だと思ったのと、それがもしかしたら、その考えた人が死んだ後も残るという、そういう仕事はすごく魅力的だと思って、それでやろうと思いました。

平沼:なるほど。あの国立民族学博物館ってまだ残っていますし、すごく良い場所ですよね。

>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT