平沼:なるほどね。建築空間って興味ありますか。

藤村:自分のこだわりの寸法とかディテールとかはやっぱりあるんです。そういう事は気をつけて設計をするんです。特に空間の構成は、東工大って空間の構成を研究するので、ボキャブラリーも多少は知っているし、説明しろと言われると色々説明出来るんですけれども、それだけが主題になっちゃうのはいやだなと思っているんですね。節度って言うんですかね。それをやれば気持ちいいのは分かるんだけど、それだけをやっていたら成長しないかなと。

平沼:なるほど。はい。

芦澤:藤村さんのスタンスって、やっている事が凄く政治ですよね。建築と政治。実際は公共のそういうパブリックマネジメントにも関わっていて、その建築と政治の関係とかをどう考えているのかとか。「丹下さんとか」ってキーワードが出てくるのも、そういう匂いを感じてしまって。

平沼:ふふふ。

藤村:凄くざっくばらんに言ってしまえば、1920年代っていうのはアヴァンギャルドの時代だった訳ですよね。だけど1930年代って凄く政治の時代になって、反動的に凄く保守的になって、日本でいうと帝冠様式とかそういう事をやっていく。例えば、藤本さん、石上さんが出てきた2000年代には、12mmと16mmの違いが重要だ、みたいな議論がありました。石上さんは凄くこだわるんですよね。12mmは家具の寸法で、16mmは建築の寸法だと。梅林の家がスタディでは12mmになっていたのに実現したら16mmになっていたと言って怒っておられる(笑)。
建築にとってその4mmの差が決定的だったんですよね。それが2000年代のアヴァンギャルドなんですが、それが3.11がきっかけになって、そういう事が関係なくなってきましたよね。人口減少社会で財政がいよいよ厳しくなってきて、どうやって予算配分するか、利害が本格的に対立し始めると、政治に建築家が巻き込まれるようになってきます。だから昔のように首長が建築家を、例えば貝原知事が安藤さんを指名するみたいな形で、トップの見識で建築家に建築を依頼するって状況がなくなってしまって、どんな建築家でも必ずプロポーザルを介して選ばれなければいけないし、場合によってはそれが政治的にキャンセルされる事がある。非常に政治的になってしまっているんですよね、今は。だから建築家が自分の理想の建築を実現しようと思えば、そういう政治的な問題を解いていかないといけない。アヴァンギャルドの時代ではなくなっているんじゃないかなと。
歴史的に振り返ってみると、神戸に限っては既に80年代に「まちづくり条例」ができて徐々にそういう状況がスタートしていて、1995年には完全にそういう社会になっていたんで、ちょっと独特でしたよね。だけどその95年以後に神戸で起こった事が今はもう全国化してきている。
自分は現代的な建築を作りたいので、現代とは何かという事を見極めようとすると、良くも悪くも政治的になってしまう。そのことは楽しんでいけばいいと思います。だからまた時代が変わったら当然違うことを考えなくてはいけないんだと思うんですけども、現代の対応としてはこういう事なんじゃないかなと、時代に巻き込まれながらなんとなくそういう事を思っているんです。

平沼:藤村さんって、先回りするの好きですか。先に回っておいて用意しとくみたいな。

藤村:どっちかって言ったら後付けです。

平沼:おお。

藤村:フィードバックするんです。何かにまず巻き込まれてしまって、これは何だったんだろうと振り返りながら、自分のストーリーにしていく。「超線形プロセス」ってそういうイメージで、いきなりプログラムが変わったと言われてそれまでの流れがおじゃんになりそうなところを、前のストーリーと次の案をハイブリッドして連続させていくみたいな。

平沼:あははは。なるほど。

藤村:「鶴ヶ島太陽光発電所環境教育施設」も、そんな感じで完成しました。2012年の鶴ヶ島プロジェクトが非常に盛り上がったんで、たまたま隣の敷地で小さな建築をつくる事になって、これを工藤和美さんと私でやるようになったんですね。ボスが2人いて、学生がチームで云十人いるというチームになっていて、これはこれでまた集団設計の新しい可能性が考えられるチャンスだと思っていろいろ実験していったんです。最初は、10人が10案ずつつくって投票を繰り返すという事をやっていて、それが実際建つものですから周りの人達も真剣になりながら、職員の人とか住民の人達が毎回投票する。その結果を見て、何でこの案に人気があってこの案に人気がないんだっていうのを議論していくんですね。多数決をする訳じゃないんだけど、調査をするという。
例えば、1位にわりと派手な案が選ばれて、理由としてはなんかインパクトがあるとか、なんか新しい感じがするとか書いてあるんですが、僅差の2位がもっと優しい表情の案だったりするので、それを分析しながら、みんながいいと思っているポイントをとって徐々にボキャブラリーにしていく。そういう事を繰り返していって徐々に類型化していって、駅舎、教会とやっていきながら最後の案をつくっていくという事をやっていったんです。

最初からこういう形はでてこないんですけども、だんだんみんなが望んでいる事をちょっとずつ言葉にして、だんだんイメージを掘り起こしていくと、最後にはぱっとはイメージできないような複雑な形ができる。10人が提案している初期案のなかにはいろんな要素があって、それらを統合していくと最後は濃いものが出来ていくっていう、超線形プロセスの集団版みたいな事がだんだん出来てきました。こういうやり方をしていくといわゆる「集合知」と呼べるものが出来るなと。
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