平沼:それで、土木じゃなくて建築だったんですね。
藤村:そうですね。丹下健三さんの『一本の鉛筆から』という本がありまして、それを読んで、建築家は都市全体を構想すると、そういうイメージがあったものですから、丹下さんのイメージで建築の領域に入っていったら、意外と違うんだなと後で思いましたけどね。
芦澤:でもその原点が今も継承しているような感じですよね?
藤村:そうなっているといいですね。
平沼:東工大時代の藤村さんは優秀でしたか?
藤村:いや、どちらかと言うと、周回遅れで何とか着いて行く感じ。大学院から建築を勉強し始めて、塚本先生の研究室に何とか入れて頂いたんですけども、「だいたいあいつさ、建築やってねぇからさ」とか塚本先生が向こうで怒っているのを耳にしながら模型とかつくっていた感じです(笑)。
芦澤:学部までは何を?
藤村:学部は社会工学科という所です。いわゆる都市計画や経済学、景観などいろんな先生がいるところですけども。
平沼:そうですか。いよいよスライドにうつりましょうか。
藤村:はい。先ほどの神戸の話に繋げて、まずは歴史的な所から入ろうと思います。今年は阪神大震災の20周年ですが、あの日私はちょうどセンター試験を受けて家で自己採点をしたばかり、というタイミングで、いろんな意味でショックでした。自分が一番夢を描いていた神戸の街が目の前で崩れていくような感じがして。私たちの年代の頃では神戸の都市開発って本当に明るくて未来都市っていう感じでしたから、埼玉から神戸に来る度に海に島ができて、山に街が出来て、地下鉄が開通して、そういう時期でしたので、憧れていた未来都市が突然崩壊してしまったのは本当にショックでした。こういう経験がちょうど自分の建築の勉強を始めるタイミングでした。
他方で同じ1995年のwindows95の発売日、これからは本格的な情報化時代が来ると言われていて、社会学の宮台真司さんと隈研吾さんの対談などではこれからコミュニケーションのベースというのは携帯電話とインターネットに移るから、建築なんかで人が集まる訳がないという事になっていて、建築の時代が終わるんだと言われていました。
震災や情報化を経て、建築の時代は終わった、これから建築は要らなくなるという議論に圧倒的なリアリティを感じつつも、ただ本当にそうかな、と思ったのが自分の原点です。しっかり時代の変化を捉えたいという思いがあって、自分の中ではこういう新しい社会状況のなかで建築がどう変化するかということに興味がありました。
最初に考えたのが「超線形設計プロセス論」。非常に単純ですが、卵が魚に変わるような感じで建築を作れないかなと。何でそんなことを考えたのかと言うと、自分が遅れて建築を勉強し始めたので最初は全然図面が引けなかったんですね。間取り図は引けるんですけども、東工大の先生方は、「平面図と間取り図は違う」とよく仰っていて、四角を方眼紙でとってただグリッドでなぞって描くだけだとそれは平面図じゃないって言うんですね。だけど皆が描くような濃い図面、スケール感のある平面図っていうのはぱっと見ると簡単そうなんですけどやってみると全然描けなくて、一体どうやったら描けるのかっていうのを観察していたんですね。「建築の人達ってどうやって図面を描いているんだろう」って(笑)。
観察していると、プロだとだいたいボリュームスタディから始めてだんだん形を与えていきますよね。あの段階的に少しずつ構築していく感じというのは独特だなって思って、自分がある程度図面を引けるようになってからは、自分で作業をしながらスタディ模型を全部保存して自分のやっている事を自分で客観的に観察する事を始めたんです。ボリュームスタディとかやってみて、構造を与えて、賃料と単価の違いがあって、というように1段階ずつ模型で記録して自分でどんな変化があったのかを記述しながら考えていく。それをやっていくと、先ほどの卵から魚になるみたいな感じになっていく。
魚の発生過程と建築の発生過程と言うのは、アナロジーとしては凄く似ているんじゃないかなと思っていて、こういう風に建築を組み立てていったら凄く「建築的」になるんじゃないかなと思ったんですね。
条件と実際の形態の関係を一覧表にして後に自分で分析すると、最初は単純なボリュームで容積くらいしか条件がないんですけど、だんだん構造とかデザイン上のルールなどを具体的に与えていくと最後には複雑な、21個くらいのルールが全部解けた案が出来ていきます。21個の課題をいきなり解けと言われても出来ないんですけども、単純な所からちょっとずつ押さえて徐々に絞り込んでいくと解くことができる、そういう考え方を「組み立てる」のって、建築独特の思考の形式だと思うんです。それを自分なりに言葉にして形式にする事をやり始めました。そうして出来上がったのが「BUILDING K」という作品です。 |