平沼:図面だけの問題ではなくて、現場の方も、現場をつくっていくのも大変だと思います。それも、公共空間をつくっているわけですよね。
高崎:予算もうるさいですし、議会もうるさいです。
平沼:うるさいという度合いの問題ではなく、かなり大変だと思うのですが、そんなことは問題に感じられていませんか?
高崎:若いときは、どうしてこういうことを理解してくれないのだろう、分からないのだろうとかいつもイライラしていました。それはスタッフもそうだし、社会に対しても行政に対してもなんでこういうことをやらないのだろうと思いました。うちの図面は小数点第6位まで計算します。ヨーロッパのモジュールは黄金比といいますが、日本は白銀比を使います。それを使えた人は宮大工ですが、自分たちのモジュールを作りたいというのが設計者としての追求するテーマになります。割り切った数字ではなく、微妙な角度、微妙な直線で微妙な建築を造って、揺り動かしたいしたいというのが、設計する時のおもしろいところです。
平沼:ご自身の建築をどのようにつくられていますか。
高崎:今思っているのは、ヨーロッパの仲間とかスタッフにも言っていますが、自分たちのやっていることを歴史に位置付けていく。流行ではなく、不易なものを追求していくのが僕のスタンスです。
平沼:これで最後です。
高崎:今、1番僕の身近な作品は家具です。家具とそれから彫刻をかなり作っています。庭も結構やっています。被災地でも庭をつくってきました。ちょっとした坪庭を、テーマを持ってやっていくとおもしろいです。あと焼き物をやっています。
平沼:構造体は別に造られた建築ですか。
高崎:これは空中庭園の中庭で立体的な庭をつくっています。
芦澤:庭はご自身で植えられたりするんですか。
高崎:木を見て話をするのが好きです。植物に太郎ちゃんとか名前をつけて、お話しするのが好きなんです。緑がすごく好きなんです。木を植えるときには、造園さんとか、あるいは造園さんに良い木がなかったら畑とか山に行って、この木を譲ってもらえませんかとか交渉して、自分で購入して植えるんです。これは被災地のプロジェクトで、3.11の時に福島県の南相馬市の警戒区域のからすこし外れた23km地点です。20kmまでが警戒地域だったのですが、23km地点で支援活動やっていました。
そこに行った時に、世界第3位の経済大国である日本にもかかわらず、ちょっとした運命のいたずらで、ある日突然ここに寝泊まりする。そういうひどいところに、人が生きて生き抜いて生活していることに、ものすごい悲しみと義憤と、バカヤローっていったような気持ちが入り混じり、そこで自分のできることをしたいと思いました。寝食を共にし、中学校の工作室に残っていたわずかな道具で住まいをつくりました。やっぱり彼らが生活に困っているのに誰も手を差し伸べないのはおかしいと思ったことから始まったプロジェクトです。福島の23km地点はいまだにそういう状況です。これは、日本人ってなんだろうかと、つきつけられました。あるいは、住まいって何が大事なのだろう、生きるのに一番大事なのは何ですかってことが、被災地ですごく明快に見えました。1つは、靴を脱ぎ座の空間になる。これは日本人の美となる。日本人のリラックススタイルです。そこにあったかいお茶がでる。贅沢な一息。そこに美しい一輪挿しがある、あるいは、掛け軸があり、書があり、思い出の写真がある。これがあるととても安らぎます。そういうことを実践した空間です。日本では、座の空間がすごく大切で、それを一座建立といいます。日本は靴脱いで輪になる。それを日本では「お上がりください」と言います。お上がりというのは神の座に上がったことになります。そこを基調にして作っていきました。生きている植物、生きている草花があるとそこで会話ができます。この簡素なことで自分が開放的になって救われます。そういうことをテーマにした原発被災地での仕事でした。 |