平沼:では続いて、逆に質問をいただきたいんですが。

五十嵐:なるほど(笑)。僕はほとんど田舎で仕事をしてるんですけど、大阪で事務所を構えて設計をされる中で、例えば地方にいるみたいな感覚とかね、何か意識しますか?大阪って関西の中では中心の町だけど、日本で言うと地方にあたるわけじゃないですか。やっぱり東京というアカデミズムの中心であり、メディアの中心が大前提としてあるわけですけど、そこからの距離感とか、それは物理的な距離ではなくて、意識的な距離感とかですね、立ち位置とかスタンスとか、どういう感覚でやられてるんですか?

平沼:僕たちよりも上の世代の方たちは、大阪は頑張ったら東京とは別のキングになれる場所だっていうことをよく言われていて、僕はそれを聞いて育ったんですけど、僕としては大阪と東京は全く違うと思っています。僕の世代って、学生時代から東京に行くことがすごい楽しみで、上京するっていうイメージがあったと思うんですよ。
ただ、独立する頃にはっきりわかっていたのは、東京なんて目指さずに大阪らしい地方都市のトップを目指した方がいいっていうことですね。メディアがあるからいい東京の部分と、メディアがないからいい大阪の部分が、両方存在していることがわかっていたんだと思います。
まあ何より大阪生まれなので、大好きなわけですよ。その地場性っていうものを上手く解釈しながら、大阪ならではのいい文化も大切にして、いい建築をつくっていきたいと思っています。

芦澤:僕はもともと横浜生まれで、高校大学が東京で、中学くらいから渋谷が庭みたいな(笑)、言い方かっこわるいけど。

五十嵐:いや、かっこいいですよ(笑)

芦澤:そういう感覚で、そういう経緯があって。そこで思ったのは、完全にここは消費する街だなと思ったんですよ。情報がいっぱいあると、いろんなものもある、おもしろいものもいっぱいある、いろんな快楽があって、そのときにここに長く居たらまずいなというか、いったん離れた方がいいと思って、外で就職できる場所を探して大阪に来たと。で、大阪にいる理由っていうのは、ひとつは東京にはあまり住みたくないっていうのがあるのと、この微妙な距離感っていうのが、逆に僕は自分を、立ち位置を見るのにはいい距離感かなっていうのは思ってます。そういうのは大阪じゃなくても海外でもいいんですけど、そういうきっかけがないだけで、はい。

平沼:五十嵐さん、今東京のギャラリー間で展覧会をされていますよね。

五十嵐:そうですね。一昨年の暮れに、ギャラ間のボスから携帯に電話がかかってきて、しかもクリスマスイブに(笑)。わざとなんですけどね。

平沼:それはクリスマスプレゼントという意味ですか?

五十嵐:そうです。実はけっこう嬉しかったんですけど(笑)。僕らの世代でギャラ間で展覧会ができるっていうのは、ひとつ区切りになるし、栄誉なことだなと思って。ただ、なにやろうか相当悩みました。これまでギャラ間を含めて、いろんな建築の展覧会を見た中で、結局のところ実物を持ち込めないっていうことを感じていて、それは土地に定着してる建築物である以上、当然なことなんですけどね。安藤忠雄さんが、住吉の長屋の原寸モックアップを展示されていて、あれはもちろん見に行ったし、スケールが体験できて嬉しかったんだけれど、いくらスケールが1/1でも、あくまで疑似体験に過ぎないわけですよね。それで、どうしようかと思って、また不自由な状態をつくろうと。その不自由な状態で模型を体験してもらうと、見る側は相当な想像力を働かせなければいけないんですよ。例えば「矩形の森」の写真には、人も家具も一切入っていないので、スケール感のない人はこれが巨大な建築なのか、小さな建築なのかわからないですよね。作品集も合わせて出版したのでそれも見ながら、これはこういう空間であるという前提のもとに、光とか空間のプロポーションを創造しつつ、リアルな空間をイメージしてもらった方が、記憶に留まるような展覧会ができるんじゃないかと思ったんです。もうひとつは、考えることで建築を理解してもらうきっかけになるといいなと思ったんですね。なので、あえて不自由な状態は模型のみの展示にして、写真とか図面は一切排除して、光とプロポーションのみがわかる模型。光の状態が伝わるように、光を通さない木で模型をつくったんですね。

平沼:ある意味、見る人への挑戦状みたいなかんじですか。

五十嵐:挑戦状というか、僕にはどこか残酷なところがあって、建築の学生とか、建築に携わってる人たちを含めて、鈍い人に対してなんで親切に説明しなきゃいけないんだっていう思いがあるんですよ。ちょっとお酒も入ってるんで(笑)、乱暴な言い方になるかもしれないけど、学生とかにそんなことまで教えていられないわけですよ。僕あんまり学校で教えてたりしないんで、あんまりわからないけど。淘汰されなければ社会は幸せにならないと思っていて、例えば、たまたま就いちゃった職場で、たまたまビルの設計を任されちゃって、全然設計できないのにやらなきゃいけないことになると、不幸な建物ができちゃうわけですよ。それは都市にとってもよくないし、全てにとってよくないわけですよ。だから設計できる人しか設計しちゃいけないと思ってるんです。ただ、感覚とかセンスで教育はできないから、建築家の教育は難しいなと思ってね。アートは自由にやってればいいからいいんですですよ。社会のためになるものもあるけれど、個人でやって、マーケットに乗らない限りは全然問題ないんだけれど、建築って世にさらすものだから、やっぱりちゃんとしないといけないと思うんですよね。建築の世界はそこに試練があるのかなと思ってます。僕はこの展覧会を見た人のなかに、たぶんつまんないと思う人がいると思うんですよ。模型しかないじゃんって。図面とか写真ないから全然わかんないって言う人がいると思うんですけど、僕の正直な気持ちとしては、わかんないお前が悪いんだよって(笑)。感じない限り、ダメなんですよ。研ぎ澄まさないとだめなんですよ。分からない奴は鈍いんだと思っているし、なんでそこまで理解を求めなきゃいけないんだって思ってます。形態がはっきりしてたり、ビジュアルとしてわかりやすい建築が学生に受けるんだけど、それは分かりやすいからなんですよ。

平沼:確かに今の若い世代っていろんなものがありあまっていて、与えられた中から何かを選ぼうっていう人たちが増えていますよね。僕は、それは上の世代が与えすぎているからだと思うんですけど。細かいところまで全部用意されて見せられるから、自分の創造性を働かせないで、見たままのことを、「あれよかったね」っていう会話にしかならない。僕たちが学生だった頃は、本なんかも一回読んだだけじゃわからなかったのに、今はそういうこともどんどんわかりやすくなっているし、展覧会にしても見てくれる人のためになってきていて、そういう意味で、僕は五十嵐さんのおっしゃることはわかるような気がします。

芦澤:僕らの時代はやっぱり人口が多かったから、学生のとき僕は淘汰されて、ゴミのように扱われて、分からない奴はボウフラだとかいわれて、出てけとか教授たちに言われて。(笑)

五十嵐:そうですか。(笑)

芦澤:研究室にも入れないみたいな。でもそういう状況でも必死になって、どこがわかってないんだろうって必死になって勉強しましたよね。

五十嵐:なるほどなるほど。

平沼:この展覧会はいつ頃まで開催されていますか?

五十嵐:7月の上旬までです。新幹線で行けるんじゃないですか。(笑)

平沼:はい。(笑)
では次、これで最後の質問です。建築家とはどんな職業ですか?

五十嵐:わかんないですね(笑)。僕は安藤忠雄さんに憧れて建築家を志したんですよ。安藤さんを見たときに、かっこいいと思ったんですよね。素敵だと思ったんですよ。住吉の長屋とか、光の教会とか水の教会とか、純粋に素敵だなと、自分もそうなりたいと思っただけなんですよね。いま一応、建築家と名乗ってますけど、ほんとに建築家になってるのかどうかもよく分からない状態ですね。ただやっぱり、世の中を不幸にするような仕事であってはいけないなと思うんですよね。世の中とか世界を心地よく、幸せな状態にできるような仕事でありたいですよね。

平沼:今日はどうもありがとうございました。

五十嵐:ありがとうございました。

芦澤:ありがとうございました。

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