質問者1:本日はたいへん貴重なお話しをお聞かせくださって、ありがとうございました。デンマークで建築をしています、加藤比呂史と申します。香山先生がいらした晩年に、ルイス・カーン先生の下へ行かれた、新井千秋先生の教え子でもあります。今日のお話しは、すごく面白かったです。
先ほど数式的に解決するということは出来ないというお話から、建築を作ることの土壌として、建築家が孤立してしまっているということを少し感じています。要するに建築をどういう風に作品的に作るかというのが今まであったと思うんですけど、それが本当に市民の人たちが欲して作るというか、例えば全部そうとは言わないけれど公民館などが一般にあまり使わなかったりする現状に対して、その時にどういう風にそういうものが使われるようになるかなと。要するに、僕ら建築家がやった仕事がちゃんとありがたがられるという土壌が出来るには、建築家ではない人たちが空間の豊かさとか、何故ここにこういうものがあって何故香山先生が緑を取り込んだのか、ということを認識してありがたがるという状況が理解する側にも必要だと思っています。現在、コペンハーゲンに住んでいるんですけど、そこで、古い町の教会をリノベーションしました。200人で同時にご飯を食べるということを皮切りに、教会は大きいスペースがあるので今そこは公民館的に、私立でやっているんですけども、そういうことをやっている施設があって、例えばお寺とか神社とか使われていないけどありがたいものとしてあるものはいっぱいあるじゃないですか。日本人の謙虚なところとか、そういうものに対して尊重するという意味で、そこで騒がないとか、良いところだと思うんですけど、それはやはりあるものを使っていくというのが重要だと思っています。そのために僕ら若者たちが、いろいろ運動をしていてもなかなか物事が動かないんです。だから、いろいろご功績を持たれている香山先生から、どういう風に今から使っていくかというのをお寺とか神社の人たちに、こういうことをやっていったら良いんじゃないかとか、アドバイスをかけて頂けると嬉しいです。
香山:おっしゃっているのは重要な問題で、僕もいつも直面しているのでむしろ、僕も答えがあれば聞きたいという感じもします。おっしゃっている1番の現象は、日本で建物を大事にしようという時に、今度はいじるなという動きになるということがよくありますね。これは具体的に言うと、僕が京都会館をやっているときに死ぬほどいじめられたんです。偉い建築の先生とか、京都にいらっしゃる偉大な先生が「香山ごときが、あの前川大先生のものをいじるのか。」と、こういう話になる。それは僕じゃない誰かがいじった方が良いかもしれないけど、とにかく誰かがやらないと壊されるしか道はなかった。このことはあなたが言われるように、どんな建築でも同じです。建築は使われて生きる芸術です。京都会館の場合も、それをいじらないまま残せという一部の建築家、歴史家に対して地元の人達は「いや、もう今誰も使えない。人が来ない建物を生き返らせて使えないなら昔のハラッパに返してください。」と公開の討論会の時に言われたんです。僕は、それをノートに書きとって、いつも大事にポケットに入れているんです。上手な直し方、下手な直し方はあります。それは鋭く批判すべきだと思います。僕のも悪いところがあれば批判を甘んじて受けますが、大事な建物だからいじるなと、これではいけない。法隆寺なんて何遍直されたか分からないね。直されて1000年生きてきたわけで、あのままでは生きていない。それなのに、建築家の間でもそうはならないことも多い。
質問者1:貴重なお言葉を、ありがとうございました。
質問者2:大阪工業大学の山根と申します。本日は貴重な機会をありがとうございました。設計される際に、歴史的背景を大切に、大変意識されておられるように感じていました。今後、僕らのような戦争の酷さを体験していない建築家の世代に引き継がれた時に、一番、香山先生が危惧し、大切にしておかないとだめなことというのがあれば教えてほしいのです。
香山:それは戦争に思うことですか。
質問者2:はい。
香山:戦争について、これは確かに重要な意識だ。しかしそれだけに話すのは易しい様でとても難しい問題です。僕は戦前海の向こう、満州で育ちました。満州では、本土に起こったような空襲の悲惨さとかあるいは沖縄のように目の前で戦いが起こったというようなことは経験しませんでしたが、満州では戦後に悲惨なことが起こりましたね。たくさんの日本人が殺され、女性がひどい目に遭った。最初の冬で40万人が死んだ。これは戦争が引きおこした大変な悲劇です。僕も小学校3年生で日本に引き揚げてくる時のことをよく覚えています。それは忘れることはなくて、今でも夜中に夢に見て恐怖におびえて叫びだす。うちのかみさんもいつもそれで寝られないと言うんです。でも僕は思うんだけど、それを語り継ごうとか何かしようというのは不可能です。戦争というのはそういうものです。一番の戦争の悲惨さを知っている人こそそのことの不可能さがわかっていると思います。人間はそうやって生きてきました。人間は古代から悲惨な戦争を繰り返して今日まできています。忘れるしかない、忘れたからこそ生きてこられた、と僕は思っています。僕はそう思っています。語り継いだところで、現実の戦争の悲惨さを無くせることにはならない。語り継いだり歴史に書かれていたからと言って戦争が起こらないということではないんです。起こるか怒らないか、それは別のことです。民族が互いに憎しみあったり、土地を奪いあったりするのが国際政治だということになったら、武力でしか解決できないから戦争は必ず起こります。だからそうではないものをつくることが大切だと思いますが、戦争はそういうものだと思うんです。しかし、君が本当にそういうことを考えてくれているだけで嬉しい。普通僕このことは言わないことにしてるんだけど、君のその真剣な顔を見ていて、思わずそう言わせてもらいました。 |