香山:(笑)うんうん、給料払っているのだから「やれ」と言われました。もうしょうがないね。でもねその後、施設部はこの手法を真似して、私が作った文学部とか工学部とかの上にどんどん乗っけていったんです。でも大体上手くいっています。

平沼:なるほど、普及していったんですね。

香山:この時日本は経済成長で、壊せ壊せですから、建物保存しろと言ったときに法学部の先生から、香山さんアメリカに行って頭おかしくなったんじゃないか、近代というのは壊すものじゃないですか、建築家というのは一番そうする人じゃないですかと言われたような時代でしたね。

芦澤:今の時代は逆に、香山先生の考え方についてきています。

香山:でも、その時だってもう少し優しく扱ってもらいたかったな。

会場:(笑)わはは。

香山:これは僕がもう定年になる90年代の最後の設計ですけど、建築学科の建物です。こちらは中庭に屋根をかけて製図室にして新しい建物をくっつけたという増築です。これは建築学科の建物だからいらっしゃったこともあるかもしれません。古い建物の外側に壁を1つ付けて新しい部屋が出来ました。図書館のブラウジングになっています。以前は、高いところでしか見えなかった柱頭の細部が目の前で見えると皆やはり驚きましたね。保存は基本的に新しいものの驚きと違って、古く見ているものがもう一度新しく見えるところがある。これが中庭のところ、そしてその時のスタディのためのドローイングです。やはり描かないと自分の建物にならない。だからしくしく手を使って、私は描いています。ここは中庭の外壁で、今は建築学科の製図室になっています。

芦澤:今でもドローイングは必ず描かれていらっしゃるんでしょうか?

香山:面白く、楽しいからね。こんな面白いことを人にやらせるわけにはいかないですね。事務所でもコンピューターを使っていますからもちろん実施図面はコンピューターで描いていますけど、私はコンテとかパステルとかの柔らかいもので描いています。これなんかはみんなそうです。新潟の北の方の関川という町の資料館ですが、ここにもこういう石置き屋根の古い町屋があって、これがまことに素晴らしい。全体の構成形式が平入りの屋根に妻入りが重なるという形なのでそれを用いつつその上に石置きの上葺き屋根を使って、新しく作ったんですね。これは東大の場合と同じく、古い歴史というものを僕なりに現代的につなぐ仕事をしたいと思ったものです。実はこの家は僕が子供時代を一時、戦後過ごした家でした。母の実家の本家の建物なんです。だからここは僕にとって故郷みたいなものです。それで頼まれたわけではなく、たまたまなんですけど自分なりの気持ちも強かった。こけらぶきという素材はニューイングランドではシングルと言いますけど、それを今でも使っているわけですね。当たり前の今日の素材です。ところが日本でこれをやろうとすると、防災の法規上認められない。何百年も使って健全だった建物が今法律的にアウトというそんな事はおかしいだろうと大抵抗しました。色々抜け道を考えてなんとか実現したんだけど、くたびれた。新潟は雪が深い所ですから、雪がここまで積もると採光のための塔が雪の上に出てそこから光が外に溢れ出る。次は信州の山の中の自分たちの小さな週末の家ですけど、木造で自分でも作れるような単純な家で、今でも使っていますが、斜面の上に立つ四間四方の建物です。四方切妻になっている。ただ、この窓が先ほどのカーンのところで少しお話したように、色々板の壁が開いたりして、色んな空間が出現するということを工夫したものです。3段に割って1段が突き出すと。これは内側から見えていますが、庇になります。ここは倒すと窓台になります。下段では風が通る。色々組み合わせてやったんですね。家族の建物なので、うちの女房は、自分は実験台にされていると言うんですが、建築家の奥さんは皆そう言ってるんじゃないですか。冬になると全体は閉じて単純な箱にかえります。

香山:このClosed boxは、今は孫も遊びに来るし、いろいろな人が集まるので少しずつ増築されて、こういう格好になっていますが、窓、開口部の方式は同じ原理で色んな風に遊んでいるというものです。ですからこれも、強いて言えば、先ほどのカーンのエシェリック邸から学んだことの延長というところかな。

平沼:今、この頃を振り返られると、どんな時代でしたか。

香山:僕が大学に入った時には戦争が終わってまだ10年しか経っていなかった。その時の僕たちは、恐らく日本中の学生がそうだったけれど、社会改革という意識の強い時代でしたね。さらに具体的に言うと、まず学生達は基本的に皆マルクス主義で共産主義者だった。ひとつの正しいイデオロギーが国全体を計画的に一律に導くべきという時代です。社会科学を科学的にする、即ち、1つの原理から正しい答えが全部計算で導き出す理念があるはずだという考えですね。それがどんなに抑圧的な社会を作ったかというのは、ちょうど僕たちが大学にいる頃、70年代からもう少し先に分かってきた。そういう時代だったと言っても良いんじゃないですかね。僕たちが良いというもの、例えば“美”もそうですが、美しい、良いというのは何によって決まるのか。私達が学生のころは科学的に何かそういう美の原理、法則が抽出されるかと思っていたけど、どうも色々やってみてそうじゃないぞ。では何によって決まるか、結局は長年、皆がそれをやってきたという、その事すなわち、伝統、慣習としかいえないもの、以外ないんですね。それが今広く言われるようになった文化の多様性、複合性というような事がやっと分かりだした時代ではなかったかなと思います。

芦澤:少し質問させて頂いてもよろしいですか?作品を見させて頂くと、歴史的なものへのご関心と、そこへのリスペクトと、過去にやられてきたものから学ばれて現代に継承していくという作品の一貫性というのが見受けられるんですけれども、それはずっとこの60年間変わらないですか?

香山:振り返ってそんなに強く明快な意識になっていたかというと、恥ずかしいんだけど僕達の世代が、モダニズムに対する批判・反省の時代にさしかかっていたのかもしれない。丹下さんについて行けなかったこと、悩んで大徳寺で古いお寺を見ていたこと、それからヨーロッパの建築を見ているとモダニズムだけでなく歴史にいっぱい面白いことがあるわけですよね。ですから、コルビュジエみたいに過去を全て否定するのは勿体無いんじゃないかと自然に思ったわけです。食べ物で言えば美味しい食べものがたくさんあるのに何故サプリメントみたいなものを栄養があるからと食べるのか、そのような感じがあったんですよね。ですから伝統であれ、現代であれ、面白いもの自分が納得できるもの全てを活かしていきたいという気が強くあった。それは僕だけじゃない、誰の心にもあるものだと思います。

芦澤:やるかやらないかということですね。

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