芦澤:じゃああと一方…

石山:古い友達来てるんで

芦澤:はい、ぜひ。いかがでしょうか。

石山:渡辺さんが質問するとちょっと会場が騒然としてきちゃうから、出江さんなんかいいな。

会場2:建築はね常識の塊やという考え、普通性を高めるというのが僕のデザインポリシーですが、私の建築というのは、ひとつの建築という辞書の中に入ってるんですけども、石山さんの建築というのは、建築という辞書から飛び出してしもてね。もう建築を超えている世界でね、そういう意味ではすごいなと思うんだけれども、僕にはもう、ついていかれへんなあという感じがするんですね。なかなか科学とか技術とかが進歩してるけども、僕は伝統的な技術を発展していくのが好きなんだけど、そんなものを遥に超えたそういう時点で石山さんが設計されててね。その中でね、私が石山さんに質問したいのは、20年前はコルゲートの建築をよくやってられましたよね。なんか貧乏人のための建築みたいなものが、さらに進展してきて、今スクリーンで見てるとね、もう建築ではないのと違うかっていう気がするんですね。おそらく石山さんは建築ではない建築を作ろうとしているのかなーと。建築をデザインとして捕まえた時に、これが建築なのかな?と不思議に思うわけですよ。石山さんの建築の美学はどこにあるのか、ずっと考えているんですけれども、よくわからない。石山さんの建築の美学、あるいは哲学、その辺を聞かせてもらえれば、うれしいと思うんですけれども。よろしくお願いします。

石山:出江さんは多分僕よりお年が上だから敬意を評して。例えば出江流の数奇屋みたいなもの、あれは一般的にいうと、論理っていうよりは感性の建築なんだね。感性というのは、教育的な建築デザインの中では捨てられてきているんですよね。その建築的感性、あるいはフォルムに対する感性、それからマテリアルに対する感性、技術に対する感性。技術だって感性なんですよ。今僕が考えているのは、そういうものが急速に見直されてきて、これが非常に重要になるだろうと。それに僕は賛成だし、それから自分の建築感の根底にあるのは、そういうものじゃないかなと。それに居直ることがなかなかできなかった。でも、やっぱり建築っていう概念自体がヨーロッパから出てんだよね。建築の中心はヨーロッパなんですよ。それを今の時代になって、良く認識できる。東アジアに住んでて、顔が黄色くって、日本人でね、なんでそんなヨーロッパの建築にひれ伏す必要があるのかっていうことを、最近になってようやく言えるようになったんじゃないかなと。変な答えの仕方なんだけど、僕は出江さんの出江流数奇屋。ヴァナキュラーじゃないな、あれは数奇屋だよ。それから渡辺さんのもやっぱり感性なんだな、いい加減なロジック言ってたけど。やっぱり、最後、最終的には感性なんだよね。そういう人たちの仕事は、急速に見直していく必要があるだろう、というのが僕の建築に対する考え方です。僕は基本的にヨーロッパの、バウハウス以降、特にヨーロッパの近代建築の考え方っていうのは、僕は批判的なんです。それはだからもう僕の建築の、最低限のものじゃないかなって思いますね。そんな答え方でよろしいでしょうか。年寄りしつこいからなー。

平沼:ちょっとだけ最後に質問をいくつか。初期作、「幻庵」からどのように建築の考えが変わってこられましたか?

石山:これは僕の処女作って言われてるんですね。27の時からつくりはじめた。それで、出江さんの質問にも答えることになるのかもしれないけど、これから抜け出すのに15年ぐらいかかったんですよ。「ひろしまハウス」を作ってようやっと抜けたなっていう感じですね。でも「幻庵」は、非常に好きな建築ですね。あれは感性だけで作った。だって27頃のバカだったから、コルビュジエもあんまり知らなかったんだよね。だからあんな勝手なことができたんだね。あれは今から思えば、曼荼羅とか、パウル・クレーとか、ごちゃごちゃに好きなものがみんな混じってたんだね。だから、自分じゃ捨てられない建築ですね。一番僕の感性っていうのか、本能だな。作りたいっていう本能を良く表現できてて、その考えは年をとっても変わりようがないだろうね。

芦澤:むしろ強まっているような印象もお見受けできますけれども。

石山:「幻庵」よりもっと、もっと古くに戻りたいんだよね。だからアニミズムなんて言ってんだよね。

芦澤:バックミンスター・フラーですとか、その辺の影響も多大に受けられていると思うんですけれども、建築以外の技術を果敢に取り込まれようとなされていて、今まで。

石山:バックミンスター・フラーには生きている時にお目にかかったことがあるんですよ。その頃はもう年取っててね、Peace and loveとか宇宙船地球号とか言うんだよね。このじいさんまずいんじゃないかなって思ったことありますけど、でも天才ですよ。
僕の歴史の先生が「石山君、フラーっていうおじいさんまずいんじゃないか」っていうんで、どこがですが?って言ったらね、ジョイントのネジを削り出すのが文化だっていうんだね。何言ってんだろって思ったんだけど、最近わかるんだね。デザインって文化だからね。そういうことを、今は痛感してますね。

会場2:ちょっとすんません。もう一つ質問させてください。先ほど出た、「幻庵」っていうのがありますね。僕はね、千利休の現代版のような気がしたんですよ。待庵と通じることがあって、すごく感銘を受けたんですよ。それから後の、今日お見せいただいたのはね、技術というものが入ってきたために、建築の持っている精神性みたいなものが抜けてしまって、建築が軽くなったような気がするんですよ。石山さんにとって幻庵が最高のような気がするんですけれどもね、石山さんはどうお考えなっているんですかね。

石山:今ね、すごい嫌なこと言ってんだよね。お前のピークは27っていってんだからね。理想を言えば、あなたの一番代表作は何ですかっていったら、今やってんのだって言いたいんだよね。でも、そう言えないのも確かで。でもピークは幻庵じゃないな。たぶん出江先生は幻庵に行かれてないけど、あれには欠陥は無いけど、今日見ていただいた、ひろしまハウスとか、時間の倉庫って呼んでるんだけど、さっきのコンクリートのただの倉庫、あっちの方が綺麗ですよ。今、綺麗とか汚いで建築とかものを評価すると、馬鹿じゃないかと言われるんだよな。フランク・ロイド・ライト好きだと言っていると、お前馬鹿じゃないかって。僕も言ってるしね。でも現代までで一番デザインがうまいのはフランク・ロイド・ライトだよ。あれはうまい。うまいとかヘタとか、形が良い、カッコイイって、この頃あんまり言われないんだよね。でもね、僕が学生の頃、なんでBなの?Aなの?っていったらね、先生が苦し紛れに、プロポーションがいいって。バウハウス流のコンポジションですよ。こっちが立っているのがあれば、こっちは水平にするとか、バランスを言ってんだ。そういうトレーニングは、今しないじゃないですか。先生がさせられないから。それは先生が設計してないからそういうことが起きてんだけど。例えば、プロポーションで言うと、竹中工務店の岩本さんなんて人がいた頃ね、やったのは窓のプロポーションとか、タイルの貼り方とかだけですよ。ああいうの、僕は嫌いだけど、あれは非常に重要なことだったなっていうことはわかるようになってきたな。カッコイイっていうのはプロポーションだけじゃないんだけど、あ、なんかかっこいいなーって思ったらね、大体姿が良いんだよね。論理とか、あなたの方法は、とか面倒くさいこと言ってるけど、やっぱりかっこいいものはかっこいいんだよね。そこをどうして突き詰めていかないのかなと。それからもう一つ先生やってからわかるのは、モダニズムのモノは評価がしやすいんだね。でも、その評価の大半はプロポーションですよ。後は、便所に行くのが近いとか、そんなくだらないことだから。あんなもの誰でもすぐわかるんで、結局はプロポーションですよ。

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