石山:これは不思議な仕事で、関西の人はあんまり知らないと思うけど、北海道の十勝につくった、盲目の人のための美術館なんです。これも変なクライアントでね、見えない人のための美術館を作ってくれっていうのは、僕はショックだったんだよね。美術館はつくりたいですよ、美術館というのは現代のカテドラルだから、カテドラルというのはゴシックとかそういうものと同じものなんだけど、何しろ目の見えない人に美術館を作ってくれって。こういう20メーター弱の塔を作って、中は非常にモダンで、それに風で動くアルミの板を付けて。これは建築写真家が写真を撮ろうと思うと撮れない。だって動いちゃうから。中入ると真っ暗なんです。だから目の見える人も目の見えない人も同じ状態にする。これをやってわかったのは、目の見えない人も瞼の裏に映像が映ってるっていう。目の見えない人とか頭のぼけてる人とか、そういう人に対する関心は、歳とともに非常に強くなるんだよね。これは、死ぬまでやっていきたい仕事ですね。これは、みんななるほどなと思ってくれるんだよね。戦後すぐの昭和23年にヘレン・ケラーが北海道を訪問したのを記念してつくられた、北海点字図書館がクライアントだったんだけど、これはヘレンケラー記念塔っていう暗闇のタワーなんですね。これも大阪の人は北海道までわざわざ見に行かないから言うけど、これも名建築です。

芦澤:タワーといいますと、シンボリックで古典邸な建築のスタイルだと思うんですけれども、盲目の方のための建築に塔をつくろうと思われたのはなぜでしょうか?

石山:若い頃、先生方から建築はモニュメントをつくってはいけないって言われたよ。いけないっていうより、なんか傍流だった。それは、今はもう間違いだと思いますね。モニュメントであるというのは建築の本質ですからね。みなさん、あんまりモニュメンタルなものはよせって自分で自己ブレーキをかけているわけじゃないですか。それは間違いですよ。建築家、ものつくりはモニュメンタルなものをつくりたいに決まってますからね。それを正直に言うべきだと思います。たとえ袋叩きにあってもね。

これも北海道の仕事です。世の中おもしろい人がいるもんでね。北海道のアイヌの聖地の近くに、北海道の大雪山系の雨や雪が地下に浸透して、数百年後の今、地下250メートルから水が噴き出てくるところがあるんですよ。そこにショールームをつくってくれって。どうしてそういうところに建築建てるのって言ったら、水の商売なんだな、水を売りたいって言うんだよ。ガラス張りの、あなたがやるみたいな建築を建ててもいいんだけど、それじゃあなんかアイヌの人にも悪いなって思って、それでちょっと工夫して大きな、建築じゃなくて大きな庭をつくったんですね。ここ、水が噴き出てくるんですよ。これが高く売れるらしいんだなあ。中国なんかも狙ってたりしてね。水と空気の商売はこれからすごいですよ。これは、水のビジネスのための施設なんです。昔の渡辺豊和さんみたいな建築なんだけども、豊和さんよりちょっとデザインがうまいかななんて思いますね。
これはその、造園計画です。大きなスケールに僕はとっても興味を持ってるんだよね。建築が脇役になる、そういうような類のものにとても興味があって。この中から水がゴゴゴって噴き出てくるんです。このつくり方が非常におもしろくて、それをちょっと見ていただきたいなと。この真ん中に水がゴゴゴゴと出てて、こういう風な大きなドームなんですね。型枠なしでコンクリートのシェルターを作ってる。どうやってつくるかっていうと、まず土でお墓みたいな巨大な丘をつくるんです。そしてこの上に、こうやって鉄筋をね、筵とテクスチャー出したいんなら筵とかゴザとか、それからプラスチックの波板とか、あるいはプラスチックそのものをのせていけばいいんだけど、それに鉄筋を組むんですね、土饅頭のように。それで、コンクリートを打って、最後にその土饅頭を抜くんですね。そうすると、中にがらんどうができるわけですよ。型枠が土で、その土で周りを造園するっていう。素材、使ってる材料がプラスマイナスゼロになるっていう。コストもものすごく安くできる。これは実は、第二次世界大戦の頃に、中学生とか高校生くらいが動員されてつくったコンクリートのドームの作り方なんです。こういうものの中に零戦とかはやぶさが入っていた。

芦澤:掩体壕ですよね。

石山:そうそう、掩体壕。ものすごくおもしろい。だからあなたのつくり方なんか知恵がないんだよね。型枠使って無駄なことやって。土で型枠作れるんですよ。それで、これは面白いやり方だなと思って。いろんなとこでこれからやっていこうかなと思ってはおります。

芦澤:ご存知ですかね? 西沢立衛さんの、豊島の美術館が同じようなやり方で作られてた。

石山:知らないよ。いや、意地悪で言ってるんじゃなくて本当に関心がないの。

平沼:ちょっと特殊なやり方を考えられたり。その設計をしていて、どんなことに問題を感じられてますか。

石山:まあ、非常に暮らしていくのが大変だなって。日本って、設計料っていうものがまだ、流通してないんだよね。物には金払うけど、頭には金払わないからね。大阪はもっとそうだと思うけど、今そういうことに一番の問題を感じるね。だから、自分がやった正当な労働に対してやっぱりどうやってきちんと払ってもらうかってことに非常に大きな問題を感じますね。

平沼:なるほど。ちょっとかわりますが、歴史におけるご自身の建築はどのように位置づけられていますか。

石山:僕はバウハウスと非常に近い関係があるんですけど、バウハウスの、その後の教育はおかしいと思ってる。グロピウスって人はとんでもないこと仕事でやってるんだよね。図面を引きたくなかったから、全部自分でやってないんだよね。ミース・ファン・デル・ローエって人は、頑固な職人ですよね。それを僕ら、教育者としての私なんかも受け継いじゃってるんだけど、まぁ根本的に考え直すいい時期じゃないかなとは思ってる。だから歴史における自分の位置っていうのはやっぱり、批判者でしょうね。波に乗っていく人じゃなくて、波に乗ってかないっていう感じじゃないかなぁと。

芦澤:モダニズムのスタイルからは距離を置かれて。

石山:あぁ、圧倒的に距離を。間違ってると思うから。昔、渡辺さんも丹下健三に間違ってるって言って、それから干されたんだからね。殺してやるって言われたんだから。

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