2 1 7[ nie - ichi - nana ] 第16回 日 時 : 2013年 2月 22日 PM 7:00〜 会 場 : 本町ガーデンシティ 1階ホール
石山:石山です。一時間半程お付き合い下さい。固い会になるとつまらないので、せっかく大阪に来てるので、僕のほうから、こちらをご紹介したいと思うんですけど、セキザワ君っていうのは…
芦澤:芦澤です。
石山:わざと間違えたんですけどね。芦澤君ってのは、実は僕のゼミの入室希望者で、僕の所へ来て、ちょっと敷居の高い研究室だったんですけど、いきなり入れてくれって言って、僕の前で、僕を殴るわけじゃないですけどね、キックボクシングの真似をしたんですね。つまり、僕を脅かしてるんですよね。なんて奴だろう。お前なんか大阪の方行っちまえって言ったら、本当に大阪の方に来まして、安藤忠雄さんの所でお世話になって。なにしろ、非常に乱暴な人だったんですよね。で、久しぶりに会ってるんですけど、今日も乱暴な質問とか対応してくれるとありがたいなと思ってる。
芦澤:頑張ります。
石山:こちらの方は、今日初めてじゃないんですけど、二度目にお目にかかっています。初めてお会いした時は、AAスクールかなんかで。あ、なんか、つまらないヨーロッパモダンなやつだなと思ったんですね。ただやっぱり案の定そうで。
平沼:あはは。はい、はい。
石山:今日全部作品を、コンピュータで、それもエチケットですから見せていただいて、非常に、つまらないけど面白いなと、いう感じがあります。でも典型的な大阪らしからぬ人だなぁという感じがありました。
平沼:はい。はい。
石山:今日は、是非そういう話をさせていただきたいと思っています。
芦澤・平沼:どうぞよろしくお願いします。 平沼:じゃあ早速にこのスライドから入っていきます。
石山:はい。今日は呼んでいただいたんで、つまらない話をしても馬鹿にされるだけという風に思ってですね、大阪の建築家の方々へという僕が今お世辞半分ですけれども、大阪の建築家たちに期待してるんですね。非常に期待してます。日本とか中国とかアメリカっていう国の枠はなくなるだろうけど、各都市の東京とか大阪とか福岡とか、上海とか北京とか、ま、そういう、都市間の競争、争い、そういうのはますますこれから激しくなるだろうと思ってます。東京だけだとどうしようもないんですよね、そういうところで大阪っていうのは、非常に期待してるんですね。僕が若いころ、初めて大阪に話をさせられに来たときですね、その頃は、関西の三奇人っていう、皆さんご存知かどうか。今を時めく安藤忠雄さんと、それから今日の会場にお見えくださいましたけれども、渡辺豊和さん。それからあと誰だったっけ、毛綱モン太さん。彼は若死にしたけど大変な建築家だったと思います。僕より形を作るのが上手だったんですよね。こいつ早く死んでくれないかなって思ったら、60歳そこそこで死んじゃいましたけれど、それは別として非常に、能力のある人だったんですね。止せばいいのにこの人は東京に出てきた。それから、渡辺豊和さんは、昔も今も非常にクレイジーな人ですから、あんまり認められてないんですけれど、僕は強烈に認めてるんですね。認めてるって言い方は偉そうですけれども、でも本当に奇人。日本で、奇人と言われるくらいじゃないとロクなもんじゃないと思ってるんですけどね。それから安藤忠雄さん、今を時めくっていうか、本当に、大変な国民的作家になったと思います。司馬遼太郎さんより遥かに信用できる人だと思いますけれどもね。この人はもう、建築家というよりも、人間としてかなりスケールがアウトしてる人ですね。だから、何やっても上手くいった人だろうと思いますけれども、そういう意味で、大阪の三奇人。そういうモノに僕は、東京にいながら非常に憧れてたことがありました。だから今日は、若いお二人の建築家相手にそういう僕の憧れていた大阪、あるいは関西、というようなことを、要約してお話出来ればいいなと思っています。 それで今日はいささか準備してきてね、それで一番最初に見ていただく絵というのは、僕がやってる仕事がどういう地図になっているか。会場に若い方も若干おられるんで、こういう時代っていうのかな、今はもう建築にとっては最悪の時代になってます。ほんと氷河期になってますね。それは、まあ、認めなきゃならない。それから、これから先も、また建築が、建築自体が復興して元気になるっていうのは多分何十年も後になるだろうと思います。でも、そういう時代ってのは若い人にとって、若いってのは40位のことを言うんですけどね、皆が駄目になりますから、そういう意味ではチャンスなんですね。それで独自な考え方、それから、冷や飯を食ってるような人が必ずそういう時に浮いてくる。そういう時にどういう地図を、建築の、あるいはデザインの、モノ作りの世界地図を描けばいいのか。ちょっと偉そうに言いますけれども、物を作りたいと思ってる人に、プロもアマも含めて、ちょっとヒントになるような事が喋れればいいなと思ってやってきました。 やっぱり相変わらず建築が好きなもんですからね、儲からないですこの仕事はね。今、日本中で儲かってるのは安藤さんしかいないと思うけれども、それでも一応、建築を辞めないでいるんですけれど。じゃあお前は何者かって言ったら、やっぱり、お前はどういう地に住んでるのか、どういう建築に住んでるのかっていうことを言わないと片手落ちになろうかと思いまして。最初に見ていただいてるのは、世田谷村って名付けてる、東京の真ん中とは言いませんけど、ちょっと外れの方にある世田谷区ってところに自分で作って自分で住んでる自分の家なんですね。それで、まずそれを見ていただく。僕はもう、この自分の家を建て終わった後で、もう住宅設計は止めようと思ったんですね。僕の学生のころは住宅こそ建築の原点だっていうようなことをね、先生方が偉そうに教えてくれたんですよ。それで僕もそうかなぁと思ってたんですけど、やってみると、住宅設計ってのは全然儲からないし、なんか自分で自分の首を絞めてるような、そういうところがあるんですね。で、もう止めようと。でも止める前に最後っ屁ってのがあるから、自分の考えだけをきちんと表現してみようと思って、それで自分の家を作った。作ったはいいんですけど、2010年ちょっと過ぎてからですね。自分の家の周りに、自分が植えたんじゃない草木がボウボウと生えてきましてね。自分の家が緑に埋もれ始めちゃった。これは、自分の理屈とか自分のビジョンだけで行かなくなってるなっていうことを痛感しましたよ。