平沼 : ではここで、次の質問を。
スライド : 『建築を設計していて、どんなことに問題を感じますか?』
藤本 : どんな問題意識をもって設計をしているかっていうことですかね?たぶん、最初にちょっとお話ししたようなことだと思うんですよね。建築ってこう数千年も人間がわけわからずにつくってきているじゃないですか。やっぱり人類が何がしかの生活や営みをする場所をなにかかたちにしようと思って、一生懸命もがいて、やっていたことだと思うんですよ。では現代において、現代の技術で現代の生活を考えたときに、我々はどういう潜在意識をそこに見出して、そこにかたちを与えられるのかというのが、曖昧なんだけど、いちばん僕の根底には何かあって。そこからいくつか、僕はひとつにしぼれないタイプなので、それこそさっきのグラデーションみたいに、入れ子みたいにつくっていくとおもしろいんじゃないかとか、ぐるぐるみたいにインフラストラクチャーとファニチャーみたいなものが融合して何かができないかとかね、いろんなトライアルをしているわけですよね。だけどすごくぼんやりした問題意識のような気がします。だけどもしかしたら、嘘かもしれないですけどね(笑)。
芦澤 : 藤本さん、当然、建築好きですよね。
藤本 : うーん。自分でそれはよくわからなくて、好きなんですかねぇ。だけど建築の本とか一生懸命読んだりしてないですし。
平沼 : 読まないですか?
藤本 : うーん、読まないですね。読んだ方がいいと思いますよ、学生さんは(笑)。建築が好きだっていうよりも、ものを考えるのが好きなんでしょうね。あとは、スタッフに考えさせるというか。
平沼 : スタッフに(笑)。
藤本 : それで何かが出てくるのが好きなんでしょうね。こんなもの出てきちゃったの!?みたいな(笑)。
芦澤 : なるほど。
藤本 : 僕、もともと、物理学者になりたかったんですよ。アインシュタインにすごく憧れていて。なぜかというと、世界の仕組みをすごくシンプルに記述するっていうのが物理学じゃないですか。その驚きみたいなものにすごく憧れていたんですよ。だから建築をやるときにも、どこかそういう意識が根底にあって、さっき言った人類の潜在意識とか、変なことを言っているのも、やっぱり大きなある一つの明確な建築物としての仕組みというか、かたちを与えたい。それによって何が生まれてくるのかを、見てみたい。ただ、建築が好きだというよりも、建築しかできないからやっている、ということなんですかねぇ。
芦澤 : 藤本さんの建築を見ていると、それぞれの作品が言っていることって、だいたいひとつですよね。メッセージがどかーんとひとつ強くて、そこに全部くっついている感じがします。
藤本 : ちょっと違うんですけどね、でもそうですね(笑)。一つの建物で言えることを一つに絞っている訳ではないんですよ。それとは全く逆。一言しか与えられないとするじゃないですか。その一言が世界を包み込んでいれば、一言でいいんじゃないかと思っている節があって。だから一言言えばいいや、という感じでもないんですよね。一言に世界を集約したい。その究極の一言のためにすべてがある、みたいな。ただ幸いあんまり突き詰めるほうではないので、この一言を言った後に、別の一言も言っちゃえみたいなところもあって、それはまた違った形で世界を包み込んでいればいいなと。究極の一言を求めているわけではないのかもしれないですね。
芦澤 : それは作品ごとに変えていくということですか?
藤本 : というかね、僕、世界はそんなに単純には言い表せないと思っていて、そこはやっぱり謙虚になってね。今日はこう言えたと、でも明日の世界は違うんだと、そうであれば、また明日やればいいじゃんという感じかな、と思うんですけどね。
平沼 : ひとつ聞いていいですか?これは何ですか?
藤本 : これは超高層ビルですね。高さが500mくらいのつもりでつくったんですけど。これはコペンハーゲンで展覧会を今もやっているんですけど、そこに出した模型で、白い粒々が見えるじゃないですか、あれ、人なんですよ。だから相当でかいんです。成り行きで思いついちゃったので、出しちゃえって言って、断面図を描いて。構造的には相当辛いと思いますけどね。
芦澤 : 350mmでやったらいいんじゃないですか(笑)。
藤本 : (笑)人が入れない、みたいな。
平沼 : これの階高はどのくらいですか?
藤本 : 階高はわりと普通ですね。なんか、超高層ってやってみたいなって思っていて。やってみたいというか、自分が超高層をやったらどうなるんだろうというのがあって。たまたまこの白い模型が、他のプロジェクトでつくった片われで事務所に落ちていたんですよ。これ、高さ500mくらいにしたら超高層になるんじゃないの?って言って、じゃあ、図面書こうよみたいな、完全に思いつきで(笑)。ただ、この展覧会で出しているものは、他にも結構変なものがあるんですけど、一応全部のテーマが「新しい地形」、「New Landscape」っていうテーマで僕らは出しています。結局建築って、地形という概念を拡張してきたんじゃないかな、という気がするんですね。地形ってだいたい、もともとはこんなかんじじゃないですか、たまに崖があったりしますけど。ところが、建築家なり人類が建築をつくりはじめた瞬間に、この地形に対してもうひとつ上のフロアみたいなものをつくりはじめるわけですよね。最終的にミースが、単にスラブを積層させることで、それが建築だと。それって自然の地形に対する対極みたいな地形の概念ですよね。言ってみれば、こういうなだらかな連続地形と、ミースみたいな離散地形という断絶した地形の間みたいなもの、あるいは両方とも違う何かがないかなということで、僕らのプロジェクトをいろいろ出したんです。これはどちらかというとミース的な離散地形に限りなく近いんですけど、先ほどのビルの表面に人がいたじゃないですか。超高層で、ああいうビルのテラス状になった表面に、人が居れるとおもしろそうだねとか、これもやっぱり新しい地形なんじゃないのという感じでした。
こういうのは、僕らの中では、とりあえず思いついたものを、植木鉢に植えとくみたいな感じなんです。そうすると、ちょっと育ってくるじゃないですか。しばらくすると急に花が咲いたりするじゃないですか、それを見て、あれ、こんな花って咲くんだ、って。それで、またちょっと考える。そのために、あえてちゃんと植えてあげるっていう作業ですよね。だから今の段階でこれに何か意味があるのかっていうと、それは僕もよくわからないんです。だからちょっと、ここらへんに育ててみようかなとか、枯れちゃうかもしれないけど、それでもいいやって。
芦澤 : たぶん、海外の人とか、藤本さんがものすごい考えてつくってきてると思ってるんですよね?
藤本 : そういうのもなんかおもしろいなと思うんですよね。これを見てなんか、真面目になんか「これは!」って深読みしてるっていうのが、意外とおもしろいなと思ってて(笑)。
平沼 : さっき芦澤さんが聞いていた「建築好きですよね?」っていうのと合わせて、もともと、なぜ建築をやろうと思ったんですか?
藤本 : さっきもちょっとお話をしましたけど、最初はね、物理学をやりたかったんです。建築っていうのに興味をもったのは、中学校入ったくらいに、アントニ・ガウディの写真集がうちにあったんですよ。それを見たときに、むちゃくちゃやってるな、こいつって思って。初めていわゆる建物っていうのと、創作行為としての建築っていうものが違うんだっていうのを、たぶんそのとき初めて思ったんですよね。もともとものをつくるのは好きだったので、建築っていうのも創作行為のひとつなんだなって知って。でも、それで建築家になるって思ったかと言うと、そうでもなくて、むしろそのときは彫刻とかの方が好きだったんですよね。そんなことをやってるうちに、高校生になったら、物理学のアインシュタインの話とか読んで、このクリエイティビティこそまさに、究極のクリエイティビティだ!と思って、やりたかったんです。建築はあんまり、アントニ・ガウディ以降は特に勉強するということもなくて。ところが、大学に入ってみると、物理学ってすごく難しいということがわかったんですよね。高校のときは、授業で言っていることとかわかったんですよ。問題も解けたし、いいじゃん、俺できるじゃんと思っていたんですけど、大学に行って、最初の授業のときに、何を言ってるのか、まったくわからなかったんですよ。日本語だということはわかるんだけど、意味がわからないというのは初めての体験だったので、結構びっくりしたんですよね。これはもしかして、これ以上やったらいかんと、これはもっとアッパーレベルの人がやらなきゃいけない仕事なんだなと思って、素直に申し訳ありませんでした、諦めますって言って(笑)。
平沼 : でも、これ見て、みんな思いますよね、建築やっちゃいかんのじゃないかなって(笑)。わかんないですよね。
藤本 : いや、建築は、少なくとも日本語が通じるレベルじゃないですか。
芦澤 : いろいろ逃げがきくし(笑)。
藤本 : そうそう。厳密じゃないっていうのが、僕に合ってるなと思って。ただ、それで何となく建築をやっていたんですよ。だから建築学科に入るまで、ミースもコルビジェも知らなかったし、フランク・ロイド・ライトも知らなかったし、丹下健三も安藤忠雄も知らなかった。アントニ・ガウディしか知らなかった。建築をやり始めて、いろいろ勉強しましたね。 |