平沼 : では次行きましょうか。
藤本 : あ、ちょっと戻りますが、コルビジェについて、ちょっといいですか?結構大事なことなので。基本的に僕って、ものをつくったあとで、その意味をとにかく考える方が自分には合っているんですね。このプロジェクトをやったあとに、ドミノとの、近代建築との違いとか対比みたいなものをちゃんと考えたいなと思って。すごく単純なんですけど、近代というのはとにかく物事を整理整頓して要素を減らしていくという考え方ですよね。それがシンプルで美しいと。だからこの絵の建築には3つしか要素がなくて、床と柱と階段。基礎もありますけど、それはおいといて、床と柱と階段があれば建築ができてしまうと。よく考えると、これって普通なように見えるけど、むちゃくちゃ乱暴な考え方でもあるんですよね。例えばゴシックの建築とかを考えると、そんなに簡単には言いきれないじゃないですか。本当はもっと複雑に建築ってできているはずなんだけど、あえてこういう風に言ってしまうのが、近代の建築の美学ですよね。整理整頓して白黒はっきりつけるっていうのが近代だと。それに対して次の画像は、床だと思ったのが、ある違う視点からはイスだったり階段だったりテーブルだったり、何かが何かであるっていう定義が、実はあんまり意味をもたないっていうことが、起こりつつあるんじゃないかと。そうすると、1つのものに1つの意味があるんじゃなくて、その関係のなかにいろんな意味合いが浮上してくるんですよね。人間がそこにどう接するかという。その曖昧模糊とした白黒はっきりしてないグラデーションみたいな感じは、実はこれからの建築のひとつの何かなのではないか。だけどこれがシンプルじゃないかっていうと、そうではなくて、ある種のシンプリシティみたいなものはあるような気がするんですよね。そこの対比みたいなものを毎回レクチャー、特に海外の人ってこういう単純な対比っていうのはすごく理解してくれるので、必ずしゃべるんですけど。で、あとでいろんなプロジェクトでグラデーションとかですね、中と外を切り分けないみたいな話しが出てきたときに、こことつながりがちゃんとみえるようになっているんですね。だからこの感じは、自分の中ではすごく重要なキーワードになっていますね。
芦澤 : なるほど。
藤本 : これなんか、いやな予感がしますね。終わらないんじゃないかって(笑)。ばんばん聞いてください、それで、ばんばん切ってください。そこもういいから!みたいに(笑)。
平沼 : そうですか(笑)。
芦澤 : では、これ(モクバン)寸法一は緒ですよね?
藤本 : あ、そうそう。これ寸法一緒ですね。
芦沢 : 変わってないじゃないですか(笑)
藤本 : あのね(笑)これをつくるときに、35cmでやったんですけど、伊東豊雄さんが審査委員長で、伊東さんに34cmじゃだめなのかって言われて、だめというわけではないんだけど、35cmでやりたいんですと言って、気持ちもわかるけど、みたいな感じで、結局全部同じ35cmでやらせてもらいました。このコンペのときの伊東さんの名言が、雨が漏らなそうな建物で雨が漏ると大問題だと、だけど雨が漏りそうな建物で雨が漏っても大丈夫なんだと(笑)、最終審査で伊東さんが言って、みんな、そんなもんかなぁみたいな(笑)。そのあとに、伊東さんが、僕の建物は雨が漏りましたけどね。って、みんなしーんとしちゃって(笑)。そこまで言うならこれでいいんじゃないかっていうことになって・・・ま、いいや(笑)。
平沼 : 僕、藤本さんに聞きたいことがあるんですけど、この構造設計をされた佐藤淳さんが、シンポジウムのときに、これを設計したときに藤本壮介がどうやったかっていう話をされていて。補助金で木に対してだけお金がついてるから、とにかく木でつくるとお金が出ると。それでこの空間ができたって聞いたんですけど本当ですか(笑)?
藤本 : いや(笑)。そこがメインテーマじゃなかったんですけど、すごくコストが低かったんですよね、厳しかったんです。ただ、要項をよく見ると、木材は支給しますって書いてあるんです。だったら、木をいっぱい使った方が得なんじゃないのって思って、それでこの35cmの角材のやつを使ったんですけど、これも審査のときに、「これだけの量は想定していなかったので、ちょっと考えさせてください」って言われて、まぁいろいろあったんですけど、最後は伊東さんがプッシュしてくれたんですね。
芦澤 : これ、構造の断面的には、かなり無駄ですよね(笑)?
藤本 : (笑)そうですね。構造に全然効いてない材もあるんですよ。上から吊られているような状態に近い材もあって、ただ、僕の中で構造っていうものが全てを決める絶対的な指標では決して無くて、難しいですよね。
芦澤 : そういう意味ではミニマムさというのは、そこまで求められてないってことですか?
藤本 : そうなんですよね。というのは、人間が最後に体験するものと言うのは、構造的な合理性をもったものがいちばん美しいかっていうと、ちょっとそこは僕わからないんです。むしろある種の不可解さみたいなものを含みこんでないといけないんじゃないかなって気が少ししているんですよね。もちろんただの不可解さじゃなくて、構造的視点から見ると不可解だけど、あるものの成り立ちって言う視点から見ると道理にかなっている、そういう何かがあるんじゃないかなっていう気がしています。
芦澤 : 350mmという間をちょっと抜いて、そこも収納に使っちゃおうかとか、余計なことを考えてしまうじゃないですか。そのあたりはストイックですよね。
藤本 : いや、使っていただいていいですよ。
芦澤 : 抜けるもんなら抜いてみろみたいな(笑)。
藤本 : そうそう(笑)。施主さんというか、アートポリスの委員会で議論しながらつくってみたんですけど、終いには、できてみて邪魔なところはチェーンソーで削ればいいんじゃないの?とか言い出す人もいて、それでもいいですよとか言うかんじで、つくりあげましたね。
平沼 : さっきの話とリンクしてくると思うんですけど、藤本さんってある種の潔さの加減が、すごいところでずばっといきますよね。
芦澤 : どこかでスパッといかれますよね。あとはもう考えない(笑)。
藤本 : いやいや(笑)。
平沼 : そのときは考えないでつくって、そのあとにまたリターンしていくっていうか、すごいなと思って。
藤本 : いや、僕は思い切りの悪いほうだと思いますけどね、グジグジ。どうなんですかね。 |