平沼:
ペロー事務所には何年に行ったんですか?
前田:
99年ですね。
平沼:
フランス国立図書館はいつでしたか。
前田:
95年ですね。コンペの開催が89年でした。
平沼:
すこしだけ説明すると、ドミニク・ペローさんがつくられた出世作があって、36歳くらいで、フランスの国立図書館のコンペに勝たれたんです。たぶん僕たちが建築をやり始めた頃に、世界の若手の頂点ですよ。多分その頃日本の建築家って同世代で言うと妹島さんとかおられたはずなんですけど、妹島さんってまだ住宅くらいしかつくってなくて、世界の同世代から1段階レベルが高かった代表的な建築家が、ドミニク・ペローさんっていう建築家なんですけど。あれってミッテランのグラン・プロジェの最終ですか?
前田:
そうです。これもひとつエピソードがあって、安藤事務所では朝礼みたいなのがあって、安藤さんが旅行から帰って来られたら、下に集まって話をするんですけど、そこに急に参加させてもらったんです。そのときの話が、安藤さんがフィリップ・ジョンソンに呼ばれて、ペローの案をオフィシャルの審査員じゃないけど見られたんですよね。その話を「ドミニク・ペローっていう奴の案を見たんだけど、すごく面白い」ということを事務所内で言われていて、僕はその国立図書館の平面の四角形のあの形と、ドミニク・ペローという名前を手帳に書き留めたんです。その後、そのことはすっかり忘れていて、ペロー事務所に行ってから数年後に手帳見て気づいたのですが。それで、ペロー事務所に行ったきっかけに戻るんですけども、95年に国立図書館が竣工して、ペローの名声が世界に知れ渡って、その後98年に、今はもうないんですけど、東京に大林組が運営されていた建築専門のギャラリーがあったんです。そこで、ドミニク・ペローの個展が98年に開催されて、見に行ったのですが、それがもう面白くて。卒業設計が終わって、大学院に行った頃だったのですが、学生の頃ってみんな思うじゃないですか。建築と街ってどう絡んでいくのかなぁと。もんもんと考えていた頃に、ひとつの回答が展覧会の中にあるような気がして。展覧会が終わるときには、事務所のスタッフが誰か来るんじゃないかと思って、最終日にまた行ったんですけど、「誰も来ないよ」と言われてしまったのですが、キュレーターの方に「じゃあ、何かあったら連絡してあげるよ」と言われて、名刺を置いて行ったんです。そうしたら、そのキュレーターが勝山さんという方なんですけど、すごくいい人で。展覧会の3ヶ月後くらいに、当時の大阪建築士会が99年にペローの講演会を主催された際に、実は東京にもお忍びで来るから、何か企画したら?と、そのキュレーターの方が誘ってくれたんです。それで、わかりました、何でもやりますと言って、講演会を企画しようと思ってやりました。場所は藝大でやろうと思って、先生にも言わずに、学生だけで有志でやってたんですけど、場所を借りなきゃいけないことになって先生に話したら、「それは大学で呼ばないと」と言って、ちょうど次の日が教授会で、先生が話してくださったのですが、ちょうど外国人を呼ぶお金が余っていたらしくて、オフィシャルで呼ぶことになりました。それで、ペローが来たときに、先生が、彼があなたのところで働きたいから講演会を企画したんだという、押し売り的な話をしてくれたんです(笑)。
平沼:
ひとつ、個人的に聞いていいですか?
前田:
はい。
平沼:
年配の方はご存知だと思うんですけど、ペローの国会図書館のコンペ案って、模型の光が下からライトアップされている模型で、写真が大きなパンフレットの中で出ていたんです。
それで、ちょうどその頃、僕はAAスクールという学校に留学していた時期で、FOAの事務所に行って、横浜港大さん橋国際旅客ターミナルの模型を作らされたんですけど、ペローの国立図書館のプレゼンを徹底的に分析させられました。それで、偶然にそのパースを持っている、たぶん元所員が手伝いに来ていて見せてもらったのですが、あの模型を見たときにすごい感動したんです。何が言いたいかと言うと、今の時代って情報はインターネットで検索すると、建築家の事務所でつくっている模型がわーっと出てくる状況なのに対して、僕たちの時代は模型のつくり方がわからないから、自分たちでトライアルするしかなかったんです。それで、当時はスタイロフォームや、木や石、土や粘土をこねたりしながらつくらないといけなかったのですが、模型をつくることによって、色んなことのアイディアがそこの中で生まれていました。まさに、ペロー事務所っていうところは、そうしたところの代表的な事務所だと思っていたんですけど、そんなのって結構たくさんつくっていたんですか?
前田:
そうですね。ペローの作品集を見るとすごくコンセプチュアルなものがありますよね。その辺で取ってきた葉っぱをぴっと置いて、これが建築っていうような模型であったりですね。あれはペローがパリのコンテンポラリー・アート・ギャラリーを改築した時に、ペローが個展をすることになり作ったシリーズと聞いてます。確かに事務所の中には、模型の樹木やマテリアルの種類がすごく多かったですね。
芦澤:
前田さんのペロー事務所に行ったきっかけを聞いて、あぁなるほどと納得しました。きっかけというか、押し売り方が(笑)前田さんらしいなぁと。やっぱりすごい行動力のある人ですから。

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