平沼:
もともとお二人とも同じ大学だったんですか?
木村:
そうです。
平沼:
その時代に一緒にやろうということになって?
木村:
いいえ、二人でやりだしたのは、卒業してからです。
芦澤:
何で木村松本という名前にしたんですか?
木村:
名前を決めようと思って二人で会議をしたんですが、夜ぐらいになって、かっこいい名前が出てきたんですけど、恥ずかしくなって。一番最初に木村松本と名前をつけたんですけど、それに消去法で決まった感じです。
芦澤:
あいうえお順で?
木村:
そうです。
松本:
そうです。揉め事なく(笑)。
木村:
あとは、漢字に全部「木」が入っているのが良いなと。
芦澤:
なるほど。
平沼:
では、3つの質問です。まず、なぜ建築をやろうと思ったのですか。
松本:
大学の建築学科に入ったということではなく、建築をやっていこうと思ったということであれば、うちの大学に根岸一之という先生がいるんですが、その人との出会いが、今まで建築をやり続けていることの始まりだと思います。根岸先生は、建築だけでなく、アートや音楽などの根本的な面白さは繋がっているんだということを気付かせてくれて、同時に建築というのは全然違うものだということも気付かせてくれた人です。そのおかげで、私は今まで建築を続けてこれたのだと思います。
木村:
僕も建築学科に進んだのは、高校生の考えることなので、たいした深い意味もなく、何となくだったんですね。そして僕も根岸一之さんに出会って同じようなことがあって。建築の可能性を見せてくれたというよりも、建築の限界を知らせるような教育だったように感じます。建築は美術とも違うし、ダンスとも違うし、舞踏とも音楽とも違う。それらができるものと、建築ではできないこと、あるいは建築だけにしかできないことがある。何か希望を与えられたというよりも、むしろこれしかできないよというのをあらかじめ言われた、そのことに何か響くものがあって、多分今も続けることができているのだと思います。
平沼:
ではお二人とも根岸先生に影響を受けられているのですね。同じ時代の研究室に在籍されていたのですか?
松本:
そうですね、一歳違いなので。ただ、大学ではゼミは4年からしかなかったので、ゼミが一緒だったということはないのですが。
平沼:
なるほど。
芦澤:
そのときに感じた建築の限界というのを、今現在でも感じていますか?
木村:
同じように感じ続けています。
平沼:
もうちょっと突っ込んで聞いても良いですか?限界性とは具体的にどんなものですか?
木村:
言い方が荒いのかもしれないですが、根岸さんは現代美術や舞踏との方に多くの知り合いの方がいて、通じているところがありますが、舞踏の美しさや舞踏の持ちえる純粋性は建築にはない。そういうことは言われましたね。
松本:
私は、そのときダンスや建築に興味があって、身体性のようなものですごく共通しているなと、今でも興味はあるのですが、やれることは違うということを最初に教えられました。だから建築では何をしなければいけないかを逆に考えやすくなったと思います。
平沼:
なるほど。

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