そうですね。マネージメントはデザインを実現化させるための方法だと思うんですよ。システムをデザインしたりだとか社会をデザインしたりだとかを、デザインするということは、決してソーシャルデコレーションなんてありえないでしょうね。要するに「装飾をつくりました」とかはソーシャルにはくっつかないでしょうから。ただ、ソーシャルデザインというのがあるという意味では、アメリカなんかではデザインなんていう言葉を使うと、デザインってフィジカルなものにつくばかりのものじゃないですもんね。ライフデザインだった、それこそ、資産運用の場面でもデザインという言葉が使われます。デザインって僕なりの解釈では、ある対象が抱えていることを明確にして解決策を美しいかたちで示していけるかどうか、これがデザインの醍醐味だと思うので、それは単にみんなを驚かすようなこととは別の問題だと思うんですよ。そうだとすると、僕はデザインというものはあまり捨てたいとは思ってなくて、今やっていることもそれがまちづくりであれば、まちの課題をちゃんと掴んで整理してまちの人たちとどういう風に解決してくか、ものを提示してくというのが僕がやっているデザイン。コミュニティーデザインという分野なんだろうなという風に思っています。ただ、急いで付け加えると、マネージメントという言葉を何故大事にしたいかというと、従来のデザインの進め方と同じになっちゃうとみんな受け身になっちゃうということですね。デザインやるデザイナーがみんな専門家だと思っちゃうと、専門家、先生に頼んでおけば、答えがでてくるだろうとまちのみんな待っちゃうので、そうすると専門家が出した答えでうまくいかなくなったときに誰に責任を押し付けようとすると、あの先生が言ったからやったのにあかんかったやん、と思わせてしまう。そうでないやり方がマネージメントだと思うんですね。答えは自分たちから出しましょうと。そのための情報はいくらでも出しますし、みんなの意見がばらばらだった場合にまとめていくスキルは持っているからまとめます。最後に責任をもたなきゃいけないのは、そこに生きるあなたたちであり、その生活している人自身がそのプロジェクトに関わって結論を出していきましょう、というデザインのやり方をして、デザインというやり方を変えていかないと。旧来の答えを与える側のデザインだと、僕がやっている仕事は立ち行かなくなるだろうなという気がしますね。
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