芦澤:
平沼さんどうですか。
平沼:
僕、AAスクールみたいなところに行っていたものですから、プログラムを信じさせられるわけですよ。プログラムありきの英型の建築教育に従ってやっていくと、ダイアグラムというものが発生してきて、そこから建築にもっていく。そこに機能をあてこんでいくやり方を、後々深くわかっていくんですけど、最近の日本の建築はまた「もの」主義になってきたじゃないですか。ここについてどうでしょうか。
山崎:
これについては、言いにくいな。言いにくいけど、くだらない「こと」にこだわっているんじゃねぇぞ、というのが本音ですね。AAのプログラムは大好きで、やっぱり勉強したいなと思ったんですが、あそこに住民参加みたいなことがどろ臭く入っていくとあのプログラムがすごくダイナミックなプログラムに変わってきますよね。去年はこのプログラムでよかったんだけども、今年ちょっと変形したぞと。しかも、その担い手が新しく入ってきて、NPOが3つぐらい増えたからプログラムが変形しました、だったらかたちはどうするの、となる。建築のかたちをその都度変えていくわけにはいかないので、どういう風に内包しつつ可変的にそれに対応できるか。本人たちがカスタマイズしていけばいいんだから、その余地をどう建築に入れていけばいいかということってこれからますます問われるはずなのに、なんか違う方向に行ってるじゃないですか。ggg-reborn関数をあてはめてみたらこんな曲線がでてきましたみたいな。いいんですかね。
芦澤:
ある種、閉鎖的。
山崎:
ほかの業界から相手にされないようになりますよ。教育の分野・福祉の分野・環境の分野の人たちと話していると、いまの建築業界がやっているカタチ遊びにはほとんど興味がない。教育とか福祉って、建築の発注者たちですよ。この人すごい有名な建築家だよ、と言っても、自分たちの「作品」をつくりたがっている建築家に仕事を頼むわけがない。「建築家に頼むといつも考えていることと違う建築をつくられちゃうんだよな」と言われているのを、本人たちはちゃんと理解しているんでしょうか。今、若手建築家がやっていることを、僕はほかの業界の人たちにどう説明すればいいんでしょうか。
芦澤:
建築界の閉鎖性か。
山崎:
思いますよ。
平沼:
もちろんプログラムというのは大切だと思うんですけど、ヒューマンスケールは変わらないから、「もの」に魅かれていく自分というものってやっぱりあるじゃないですか。そこに対しては、これからどうなっていくんですか。
山崎:
それはあると思いますよ。僕は学生の前で、勇気づける意味で本音で言ってるんですけど、同じようにこれぐらいの人数の人たちと一緒に仕事をするんですよ。みんな市民に集まってもらってチームつくってワークショップつくって、どこで何やりますかと聞いたときにそのやる場所、空間がすごいおしゃれだとみんな魅かれるんですよ。顔がぱっと明るくなるんですよ。俺らここでやるのか、この空間が俺らの場所だという感じでやっぱりかなり惹きつけられるんですよね。そのときにそうでもない空間だった場合、この人たちの気持ちをマネージメントする僕としてはめちゃくちゃ大変になりますから、空間の力というのはやっぱりあると思います。それが実際使ってみて使いにくいとなるとその反動たるやかなりなもので、何故かその文句が僕のところにくるんですよ。それは相当嫌なこと、困ったことで、それは建築家に言ってくれという局面が結構多いですね。
芦澤:
じゃあ、ちょっとテーマを変えて。たぶん、山崎さんが言葉としても色々使っていることだと思うんだけど、デザイン。さっき、悩みの中でデザインとしての悩みがあって、今日のレクチャーをずっと聞いていても、山崎さんはとてもマネージメント中心ですね。人もそうだし、環境もそうだし、ランドスケープも含め、僕的に言わしてもらうとある種の風景。風景自体を、人やものも含めてトータル的にマネージメントしようとしているのかなという印象を受けておもしろいんだけど、山崎さんとしてはデザインを捨てるのか、いや捨てるわけではないだろうなと。その辺のバランスというのはどう考えられていますか?
山崎:
全部デザインだと思っていますね。基本的にはデコレーションでなくてね。
芦澤:
マネージメントをデザインしているともいえるということですね。
山崎:

そうですね。マネージメントはデザインを実現化させるための方法だと思うんですよ。システムをデザインしたりだとか社会をデザインしたりだとかを、デザインするということは、決してソーシャルデコレーションなんてありえないでしょうね。要するに「装飾をつくりました」とかはソーシャルにはくっつかないでしょうから。ただ、ソーシャルデザインというのがあるという意味では、アメリカなんかではデザインなんていう言葉を使うと、デザインってフィジカルなものにつくばかりのものじゃないですもんね。ライフデザインだった、それこそ、資産運用の場面でもデザインという言葉が使われます。デザインって僕なりの解釈では、ある対象が抱えていることを明確にして解決策を美しいかたちで示していけるかどうか、これがデザインの醍醐味だと思うので、それは単にみんなを驚かすようなこととは別の問題だと思うんですよ。そうだとすると、僕はデザインというものはあまり捨てたいとは思ってなくて、今やっていることもそれがまちづくりであれば、まちの課題をちゃんと掴んで整理してまちの人たちとどういう風に解決してくか、ものを提示してくというのが僕がやっているデザイン。コミュニティーデザインという分野なんだろうなという風に思っています。ただ、急いで付け加えると、マネージメントという言葉を何故大事にしたいかというと、従来のデザインの進め方と同じになっちゃうとみんな受け身になっちゃうということですね。デザインやるデザイナーがみんな専門家だと思っちゃうと、専門家、先生に頼んでおけば、答えがでてくるだろうとまちのみんな待っちゃうので、そうすると専門家が出した答えでうまくいかなくなったときに誰に責任を押し付けようとすると、あの先生が言ったからやったのにあかんかったやん、と思わせてしまう。そうでないやり方がマネージメントだと思うんですね。答えは自分たちから出しましょうと。そのための情報はいくらでも出しますし、みんなの意見がばらばらだった場合にまとめていくスキルは持っているからまとめます。最後に責任をもたなきゃいけないのは、そこに生きるあなたたちであり、その生活している人自身がそのプロジェクトに関わって結論を出していきましょう、というデザインのやり方をして、デザインというやり方を変えていかないと。旧来の答えを与える側のデザインだと、僕がやっている仕事は立ち行かなくなるだろうなという気がしますね。

 

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