僕ももともとものづくりをやっていましたからその気持ちはよくわかりますね。ものづくりをやっていたときから今を振り返ると、自分が好きだったなと思う作家はことづくりとかと近いところにいるような人たちだったと思います。ハンス・ホラインという人は、きっとものづくりがあまり好きじゃなかったんじゃないかなと思うような人ですよね。ランドスケープを変えるくらいだったらサングラス変えればいいよ、みたいなデザインをしていたり、薬を飲めば見え方が変わるぜ、みたいなことをやっていた人ですから、割と感覚が近いなと思います。セドリック・プライスなんかもそうですよね、システムで解決できるならシステムで解決したい人で、どうしようもなく問われたときにはファン・パレスつくってみたり、鳥小屋つくってみたりしていたんですけど。つくらないでいいならつくらない提案がしたい、作品集の中はそんなものだらけで、割と作家としても「こと」と「もの」の間を浮遊している人たちに共感を覚えることが多かったと思います。さっきの芦澤さんのお話で、今いいと思えるストックがあまりないんだよね、というのは確かに僕らが判断することではあるんですけど、それはやっぱり市民が判断するべきことだろうと思います。いいと思えるものがあれば、それを使い続けるだろうと思いますし、いいものでなければみんなからそっぽを向かれるだけのものであると思います。みんなからそっぽを向かれているものをどうやってリノベーションして変えていくかというのも一つの方法ですし。そっぽを向かれているんだけれども、そこに新しいプログラムを与えることでみんなが使い始めておもしろいことをやったら、同じ空間が違って見えるようになってきたねというやり方もあるような気がします。さっきスライドで飛ばしましたけど、イワレ捏造技術開発機構という遊びのプロジェクトをやっていたのは、風景を直接そのままデザインして新しいものにするんじゃなくて、見え方を変えていくというだけでも新しい見え方ができるんじゃないかと試したプロジェクトですけど、プログラムはそれに近いような気がしますね。将来、万が一この建物がハードとしての建物の魅力を失ったとしても、建て替えやリノベーションをしないで、この中で今やっている217みたいなおもしろいイベントをやりましょうとか、おもしろいプログラムをやりましょうと。しかも、お金をかけずに周りの市民がここの場所で実現したいことが、どんどん仕組みをつくっていってマネージメントする人がいれば、たぶんここの建物はみんながどんどん使いこなしていくような建物になっていくんじゃないかという気がします。
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