山崎:
この時まだ僕は独立していなかったので、謝金をもらって講師みたいに行くのと、他の学生たちを入れて、交通費だけもらいながら、街づくりのワークショップのファシリテーターみたいなことをやったりとしていました。ところが、街づくりの意識が低かったのもあり、10人ぐらいしか参加者がいなくて、もうちょっと仲間を増やしたいねというのもあり、変な日本語ですが、家島を住みなおすという、それこそライフですね、もう一度僕らの生活の仕方を変えませんかと。自動化、外注化されて、こういうものを買えばあなたは幸せになれますよという生活でない本当の生活っていうものを実現するために、フォーラムを開催して仲間を増やそうとしました。その次、2004年になると10人しかいなかった仲間が30人ぐらいに増えてきたので、もう一度まちづくり研修会をやりました。独立がだいぶ近づいてきた頃です。このときはみんなが各地区ごとにガイドブックをつくりたいと言ったので、その島に住んでいる人たちの自分の自慢や地元のお宝みたいなものを写真にとってきてこれを冊子にしていこうと。だから、有名な神社があるとか桜がきれいとか、「どんがめっさん」っていう亀の形をした岩が載っている冊子を、みんなで編集してつくったんです。役場の職員の人たちは「良いのができたね。」って言って喜んでくれるし、これに参加してくれた30人の人たちも自信満々で「良い冊子ができた。」と言っていたのですが、僕らとしては実は有名な神社やきれいな桜の並木というのは大阪でも神戸でも結構あるので、そのガイドブックをもらってもわざわざ家島まで行こうとは思いませんよ、という話をしたんですね。むしろ、僕らが外から見てこの島をおもしろいと思っているから探らせて下さい、でもそんなことに行政の財源を使うことはなかなかできないので行政の財源には頼らずに自分たちで勝手にやりますから、島を使って遊ばしてください。ということで島の外の人たちを30人ぐらい呼んで、この人たちが1週間ぐらい島を回って面白いと思ったところを写真に撮って、冊子にまとめて島の人たちに渡すことで外から見てみたらこんなところが面白かったんですよというのを理解してもらおうと計画しました。これに7日間で宿泊一人27,000円払って全国から30人応募してくれたんですよ。「島を探りに行きたい。」と言ってお金を出して探りに来てくれる人がいたということですね。プロジェクトをやるときはだいたい毎年しているんですが最初にみんなで集まって、チームビルディングとかアイスブレイクをやってそれぞれ仲良くなってもらってもらうんですね。会場に集まってもらった人たちをみんなで友達になってもらってチームをつくって、上陸の作戦をつくって中に入っていくということをやりました。5年やろうと決めていたので5年間毎年、一冊ずつ作って島の人たちに出す。あるいは20冊ずつ持って帰って自分の友達にこんな島あるんだよということを宣伝するということをやりました。ここから長いので飛ばした方がいいのですが…
芦澤:
これ、ごめんなさい。これで家島に来る人が増えたとかあったのですか。
山崎:
ありましたね。数値で直接ではないのですがこの本を持って歩いている人たちがいたことでどうやら機能していたことがわかりました。ただ、僕らの主眼は、島の中の人たちの視点をちょっと変えたかった。島の人たちは自分たちの自慢だって思っているものは由緒正しき神社だったり、景色が良く見える広場だったりするんですが、僕ら外から見ると外に絨毯がひいてあることや外にソファーがおいてあること、冷蔵庫とか流し台も全部、外に出しちゃうんですよね。冷蔵庫が使えなくなっても廃棄処分するのにお金がかかるので冷蔵庫は外にそのままおいてある。何に使っているかというとそれをガチャっとあけると農機具とかが入っているんですよ。倉庫にして使っていたりして、そこから鎌とかくわを出してきて作業したりする。だから、島の中で外との交流をあまりしないようなシステムを自分たちつくっているのがすごくおもしろかったので、採石場の跡地とかね、こういうところとかが僕らとしては面白い。ただ、こういう冊子をつくると島のおばちゃんたちは「絶対、こんなん出さんといて。そんなん恥ずかしいし何が面白いの。」と言いますが、5年続けてしつこく言い続けると、島の外の人たちは自分たちの島をそう見ているのかと段々理解してもらえてきてるみたいで、5年でやっと島のおばちゃんたちと本当の意味で仲間になれる、というか、外からの視点はこうなっているのですよということを理解してもらうことができたなと思ってます。
芦澤:
初めから5年計画でやることを決めてやっていたのかそれとも、毎年毎年企画を立てていたのか、どちらなんですか。
山崎:
探られる島についてはずっと続けずに、5年でやめようと話をしていました。だから、最初はおじゃましますと言って単純に家の中にあるようなものが外にどんどん出てきている状態がただ単に楽しいなと思っていたんですが、2年目は採石している島に行って、3年目は民泊をさしてもらって衝撃におもてなしをされ、泊めさしてもらって、そこの生活を一泊二日だけ体験させてもらうと。さらに4年目は空き家に住んで自分たちで生活してみようとみたいなことをやって、最後の5年目は仕事を体験しようということで、そこで仕事をしている人たちのポスターをつくるということをやりました。だから、5年かけて徐々に徐々に島の人たちに近づいていこうと最初から立てていた5年間の計画ですね。なんでそんな風にしようとしていたかというと、島の内部の人たちが島の外部の視点を認識することと同時に僕ら外部から行った人間も島の内部の視点をちょっと認識したいなと思っていたので、相互に乗り入れるかたちで続けられれば良いなという風に思っていたのですね。

 

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