芦澤:当時10才くらいですよね。ご実家にストレスがあったということですか?

小川:そうですね。はい。

平沼:建築をやりはじめた大学生の頃、ご自身はどんな学生でしたか?

小川:どうでしょうか。(笑)今は、四角い形態を多く設計していますが、大学に在籍していた当時は、三角形ベースでギザギザしていたものをやっていました。卒業設計は曲線で、集合住宅を設計しました。今と全然違いますね。

平沼:なるほど!少し学生の頃の小川さんの様子に、想像が働きました。ありがとうございます。それでは、このあたりから、スライドのご説明をお願いしてもよろしいでしょうか。

小川:まず、これは広島にある、ニューヨークから帰って事務所を始めてすぐに造った住宅ですね。ピロティがあって、上は軽く木造で造りました。そして1989年のキュビストの家(Cubist House)でSDレビューを受賞しました。1990年Minimalist House。当時は、ポストモダニズムとデコンストラクティビズムの時代で、その時にこういうのを出したので通るわけはないな、と思ったんですけど、安藤さん等良い審査員の方々に受賞させて頂いて、今があります。

平沼:僕は学生だったんですが、SD誌面で見ていたのを覚えています。

小川:これが二年目ですけどね。三年目に案がとおったRestore Station。最初からローコストで造ったデザイナーの為の山の中にある住宅兼仕事場ですね。このころから、照明器具なども工夫するようになりました。普通、ダウンライトは消した時にフレームが見えますよね。だからダウンライトが見えないように自分で造る。あるいはコンセントプレート、スイッチプレートが気になるので、絶対見えないようにする。ドアノブも見えないように付けないでつくる、などをしていた時期ですね。排水の目皿も、隙間から排水するようにしていました。次は、Kid Museumという多目的ホールです。子供の舘といって、400人の為の透明なガラスのホールです。手前の広場とむこうの広場があります。閉じていると400人だけですけど、ホワイエを使うと2000人とかが、ここでやっているイベントが見える訳です。次は104Xと言ってデザイナーのオフィスです。プロダクト的で、つまりレゴみたいなワンパーツでできた建築です。104枚の、Xという90cmかける3.6mのガラスのフレームの部材で、壁、天井、間仕切りとドアを全部ワンパーツでつくりあげた建築です。自分なりには結構おもしろいと思うんですけど、なかなかあまりないですよね。黄色が壁、屋根が緑、ドアが赤ですね。次、ABSTRACT HOUSEといいます。つくった時はすごくニュートラルで、人の生活様式に合わせて衣替えするイメージですかね。これを見ていただいて仕事が結構来ました。前庭と後庭で自由自在に仕切れまして、昔の日本家屋みたいに春夏秋冬四季に応じて風が通るようにつくっています。緑が映えるダイニングリビングですね。penに出ていた写真です。自然の庭です。こう天気のいい日には、窓を開けると風が通って、住んでいる人が持っている家具で、イメージの空間が自分で作れます。だから、さっき言った、中のものが変わると全然違う空間に変わるっていう事を、空間の衣替えが出来るように考えてやっていましたね。こちらは、3階建の1階が散髪屋さんで、2階3階が2世帯の住宅です。トンネル状で両側にテラスがあって風が通りトンネル状の筒の空間に、一枚の間仕切収納壁を入れる事で、リビング、ダイニング、ベッドルームと水回りを分けて作っています。名古屋で作ったLOFT HOUSE。中庭を挟んで子供部屋があります。東京で初めて作ったFIREPLACE HOUSEという暖炉の家。暖炉の家の奥さんは結構建築の雑誌を見ていて、「小川さん東京に事務所出すと絶対仕事ありますよ」っていわれて初めて作った仕事です。暖炉を作って、エアコンの吹き出し口になっています。リビングとダイニング、キッチンを分けています。エアーチェアーは、建築家の家具の展覧会をするから出してくださいと言われて出しました。大体形を争う展覧会だと思ったので、形よりも、座る人だけを健在化させて、椅子は脇役でいいかなと作った椅子ですね。

平沼:ありがとうございます。どうですか、芦澤さん。

芦澤:そうですね。いきなり革新的な話から入ってしまうかも知れないのですが、小川さんが、ミニマルに行こうと思われたきっかけって何かおありだったんでしょうか。時代的なお話では、先ほどデコンストラクティビズムがありましたけど。

小川:デコン、ポストモダニズムで、事務所を始めて仕事も無いし、ローコストばっかりしていましたので解決法としてやっていて、今もずっとやっていると言う感じですね。

芦澤:必然性があったんですね

平沼:ミニマリズムの建築家はイギリスを中心に、ジョン・ポーソンやデイビット・チッパーフィールドだったり、世界的に影響を与えたとされていますが、小川さんがこのような様式に挑まれて時期は、この時期のもう少し前ですよね。

芦澤:80年代後半くらいですね。

平沼:彼らが小川さんの建築を当然ご存じで、見に来られて影響を受けていたり、僕らからすると小川さんをミニマリズムの父のように思っているんですけど、世界的にやってやるぞー!みたいなのはありましたか。

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