平沼:僕たちの世代からすると、ある種の良き、輝かしい時代で、みなさんが切磋琢磨され、競い合われていた時代だったのですね。そんな高松先生に次の質問でお聞きしたかったのが、高松先生の先輩。当時、影響を受けられた建築家の方はおられましたか。

高松:はい。これははっきりと3人います。まず一人は恩師ですね。川崎清 先生。先生 には僕は卒業後に若干師事したわけですが、初期の作品が一番好きです。これは斐川町という僕が生まれた町のすぐ近くにつくられた作品で、「斐川町農協会館」 です 。 実は子供ながらにこの建築を見ていて、すげえなぁ、と思ってたんですが、それがまさかこの 先生の作品だとは思ってもいませんでした 。(笑) とはいえ 、やはり最高の傑作はこの「栃木県立美術館」です。僕が先生から何の影響を受けたかというと、僕の建築は内側にずっと閉じていって、いわゆるブラックホールを求めて、思考を展開 していくような設計 プロセスを辿る んですが、 川崎先生の設計の手法というのはとにかく開いていきます 。環境という言葉が使えるかはわかりませんが、環境や人に開いていくのです。周りに、世界に、どんどん開いていくような建築をつくろうというような所で、僕の思考とは対極にあります。そういう意味でも若い頃から大変な影響を受けました。もう一人は 菊竹清訓さんです。菊竹 さんは、僕の 学生時代に は もうスターでした 。ネクスト・丹下健三というような、そういう存在だったのですが、 実は菊竹さんの作品に 「出雲大社 庁の舎」がありまして、僕はこれを子供の時 から見てたんですね。 菊竹さん の作品には知らず知らずにして多大な影響を受けています。ただ最も好きな作品というのは実はこの「徳雲寺納骨堂」ですね。平沼君も好きでしょ。

平沼:はい。大好きです。(笑)

高松:(笑)いやぁ、これはほんとに菊竹さんの若い時の、非常に鮮烈なシンプルな思考そのまま建築化したというふうな作品で、これを知った時には 目から鱗が何枚も落ちましたね。これは いわゆる納骨のための仏壇が水の上に浮いてる訳ですね。それを水越しに祈るという。とんでもなく精神的な建築です。 そして、長じて 影響を受けたのは、菊川さんの都市計画ですね。この当時、都市計画はある種のブームになってい て、黒川紀章さんや丹下健三さんなど、壮大な計画が幾つも 発表されていました 。僕の学生時代とは それらに圧倒されていた時代だと言えます 。そして、建築家になるかならないかっていう時 に、どん底に突き落とされるような衝撃を受けたのが、白井晟一という建築家の存在です。特にこの「原爆 堂計画案」。これは実現していない ですが、僕にとっては心の中で実現しています。 それぐらいこの建築というのは、僕にとって 今建築家としてあることを許してくれた建築ですね。実作としてはいろいろありますが、非常に寡作な建築家なんですが、僕が好きなのはこの「親和銀行本店・懐霄館」です。

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