平沼:そもそも高松先生、なぜ建築家になろうと思われたんですか?

高松:今回、お二人から前もって ものすごく難しい質問を幾つか頂いた のですが、その中でちゃんと答えられるのは1つくらいしか ありませんでした。

平沼:いやいやいやいや。(笑)そんなことありません。

高松:(笑)それで前もってスライドを準備してきました。まぁ今 思い返すと、建築家になろうと思った理由は 3つありま す。まず1つ目は 出雲大社です。僕は 島根県で育 ったので、出雲大社の建築から大きな影響を受け ました。「大きくなったら ああいう物をつくりたいな」というふうに思った訳です。でも、どうもそれを構想しているの 大工ではなさそうだな というふうに思っている矢先、中学時代に 東京オリンピックの準備が始まりました。

平沼:いまから約50年前の1964年前ということですね。

高松:はい、お察しの通り。丹下健三さんを知ることになります。 。
この当時の丹下さんは まだ50歳くらいですかね。この「国立代々木競技場」の建設の現場写真を新聞で見た 時に 丹下さんの横に「建築家」という言葉がありました。 それを見た 瞬間に やっぱり大工ではなかったと思いました。(笑)

会場:(大笑)

芦澤・平沼:(笑)わはは。

高松:やっぱり「建築家 」なんだなというふうに思ったのが2つ目の理由です。
そして 最後の1つはですね、これも新聞の片隅に掲載されていた記事を見たんですが、オーストリア・ウィーンにハンス・ホラインという建築家がいます。
この 建築家が こういう小さなブティックを設計したんですね。
「レッティ蝋燭店」です。 この正面の ファサード写真を新聞の片隅で見た時 、僕の目にはとても巨大な建築であるかのように映って いました。
その当時、建築というのは どうやら 僕たちの想像をはるかに越えた存在なのだなと 思ったのが3つ目の理由です。この3つの理由が、今 僕をここに立たせて いるわけです。

平沼:出雲大社、代々木の丹下さん、そしてハンス・ホラインに代表される建築のスケールだったのですね。なるほど、ありがとうございます。
京都大学に入られて、どのような学生時代を過ごされていましたか?

高松:もう数十年前ですからね、あんまり覚えていないのですが、
だいたい3本立ての学生生活だったと記憶しています。
1つはですね、 京都大学のアメリカンフットボール部でプレー しておりまして、日がな一日 これに 明け暮れて いました。

平沼:1年生からレギュラーだったのですか?

高松:えぇ。1年生の時になぜか (笑)

平沼:すごいですね。当時の京大アメフト部は、かなりの強豪チームだったようだと聞いたことがありますし、高松先生の体格は、それほど大きくもないようにみえていましたから、イメージにはなかったです。

高松:えぇ。非常に体は小さかったのですが 体重だけはありました。

平沼:なるほど。

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