長谷川:レクチュアに戻ります。これは1人でやっていた時の作品です。私がつくった模型なんですけど、40年も経って本箱の上に埃だらけになって並んでいたのを、ポンピドゥー美術館のミゲルさんが見つけて、こんな大事なものをこのままにしておくのかと買っていきました。ポンピドゥーに持って行ってすぐ展示したそうです。ミゲルさんはこれらの住宅の重要性についてあちこちで書いてくださって、公共建築なども見てほしいなあと思ったりするのですけど。笑。
住宅設計を自分で始めた頃は、民家が持っている空間性を小さな家の中で実現しようと考えていました。人と人、人とモノのいろんな関係を許容できる空間には距離という問題があると思って、「長い距離」とか「ガランドウ」とか「領域をつくる」ということをテーマにしていました。
これは「焼津の住宅1」のプランです。奥行きの深い平面の中に縦に壁を入れてできるだけ長い距離をつくり、さらに折り返してその距離を延長するような平面です。生活の空間に、さまざまな関係を作り出せるように長さを持った距離を与えようとしています。それから「緑ヶ丘の住宅」のプランです。やはり長方形の長手に斜めの壁を入れて、長い距離を持った4つの領域をつくっています。壁が斜めになっているので、壁に沿って移動する時に、幅が連続的に変化していきます。さらに斜めの壁の両端にドアがあってグルグル回れる。いろんな距離が生み出されてることで、いろんな関係を許容できる。大体こういう同じテーマで、10件ぐらいできているんですね。その頃、住宅は「ボソットアート」と自分で名付けて、インテリアしかつくらない、何もしない、ぼそっとあるだけなんだって、言っていました。コンクリートは緑ヶ丘の家1件だけで、他は木造なんですけど、インテリアから出てくる結果としてのぼそっとした外観しかないようなつくり方をしてきました。
共有空間を持つっていうことは「開かれた場」をつくるということですね。庭や小路を設ける、緑化して快適な空間を作る、縁側的な緩衝空間を設けるとか。そういう開かれた場をつなぐブリッジを架けるとか。これは公営住宅だったり民間の賃貸アパートだったりいろんな集合住宅です。公営の集合住宅では、住戸の間取りをパターン化することや、プライヴァシーや防犯のために住戸を閉じるよう行政が求めるんですね。なかなか住戸だけでは建築を開くような提案をすることは難しい。だから、共用廊下を住棟から少しでも離して自由に行き来できるブリッジにして人と人の出会いの場所となるようにするとか、一軒ずつの住戸のエントランスにテラスみたいなところをつくって植物を置いたり、他の人たちが気軽に尋ねることができる場を作るようにしています。このような民間の小さなアパートでも、外に孤立したバルコニーをつけるよりは、エントランスの所に占有テラスみたいなところをつくったり。色んな仕掛けをすることで集合住宅を少しでも、開かれたものにしたい。色々な共有空間をどうやってつくるか、どうやって開かれた場をつくるかっていうのが集合住宅のテーマだと思います。
平沼:なるほど。これからの都市空間はどのようになるべきでしょうか、というような唐突な質問なのですが。
芦澤:唐突だな。
平沼:今、菊竹さんのお話であったり、篠原さんの話って僕たち今建築やっているみんなが原点にしている所で、長谷川さんは都市も学ばれて、住宅くらいの小さなスケールから実践されて、今後どういう方向に都市空間ってなるべきなんでしょうかね。
長谷川:東京で生活していると、東京は相当つまらなくなってきていますね。表通りから一歩入ると裏側はまだ植木鉢が路上に出ているような住宅地であったり、昔ながらのお菓子を作っているとか手工芸をやっているとか小さな工場があったり、何かをするためにあって、人が生きている場所って感じがしますけど。香港や上海と同じように東京もグローバルな大都市で、経済活動の場所ですから、まさにグローバル建築でございますというような立派なビルディングがずんずん建っていくわけですよね。グローバルな経済活動をしている人たちにとっては意味があるかもしれませんけれども、そこに住んでいる人たちの生活や活動が見えてこないのでそんなに魅力的じゃないんですよね。やっぱり街も人も、人が生きている所ですから、生活の快適さとかさまざまな活動がみえてくるようなデザインを導入しないと、都市はずんずん貧しくなっていくように思います。生き生きとしてこない。建築家がもっと努力しないとダメかなと思う時がありますね。
地方の話になりますけど、今、自分の出身地の静岡で、港湾エリアや歴史的な街道の街、文化財登録もされているような庭園のある旧家の周辺などで、どういうようにしたら良いかっていうイメージを描くように3つ4つ頼まれているんですよね。いわゆる立派な建築を描いて欲しいみたいなんですけど、グリーンビレッジとか名前を付けて、むしろ森とか林とかいっぱいある中に建築を埋め込むような感じで環境をつくる事を主にやっていまして、いわゆる立派な建築を描く事ができないです。街って建築だけでできているわけじゃないですよね。小道とか森とか、庭園とか。そういう環境の中で人々は快適さを感じるのであって、環境と建築を一体にして描いているんですね。 |