安藤:そうですか。
偏差値の高い大学ってあるじゃないですか。関西でいうと大阪大学とか京都大学って所になる訳ですけれども、偏差値だけが人生ではありません。

私の事務所でね、東京の国立新美術館で、来年(2017年)9月27日から展覧会をするために、今、学生たちが模型をつくっています。大阪市大や神戸大学とか、京都工繊大などの学生らが10名くらい。全員1年生か2年生で、目が輝いています。この人達は良いなぁと思い、こんなに目が輝いて前を向いている人たちが居るのかなと思って、すごいなぁと、感心します。

でもね、この学生たちが3,4年生なった頃に、「また呼んでみたらどうですか?」って所員に言ってみたら、こう言うんです。「絶対来ないですよ」と。なんでかと聞いてみたところ、3,4年になると学生たちはそろって言うそうです。「就活があるので、安藤事務所に来ている場合ではありません」と。優秀な学生ほど、現実を知って堅実になります。でも建築に対する情熱は、一体どこに行ってしまうのでしょう。

平沼:(笑) 安藤さんが建築家になられたルーツを辿らせてください。まずはどんな少年期を過ごされておられましたか。

安藤:私が大阪で生まれ育った場所は、梅田から守口の方向にあります。典型的な下町で、文化的素養を育むには程遠い生活環境でした。
例えばドストエフスキーや、トルストイが下町の家にある訳はないし、西田幾多郎や和辻哲郎がある訳でない。音楽もクラシックが流れている訳じゃないし、時々演歌が流れて来るという、普通の大衆の家で育ったものですからね。

中学校に通いだすと、50名のクラスが14クラスあり、1学年700人もいました。私のクラスも同じく50人居て、いつも5番をキープしていた、下からね。

会場:(爆笑)

安藤:それでも人生、何とかなる。(笑)
当時の私は、全く勉強しなかった。いつも下から5番をキープしていましたから、先生に祖母が言われました。「安藤さん、あなたのお子さんは、いつも5番をキープしていて凄い」。私は祖母に育てられたのですが、「勉強しなくていいのか?」と聞くと、祖母は、「勉強は必要ない。ただ約束だけは守れ。そして責任持って生きろ。」と言われ、「自分の人生は自分でしか選べない」と言い聞かせられ、ポンっと、放り出されたものです。

だから少年期の勉強面は、小学校も中学校も全然ダメ。その頃、隣の家の建て替えがはじまり工事現場をみていたら、基礎から家が立ち上がってくる。はじめて見た工事現場を少年は面白いと思いますね。この面白いと思う感覚は大事です。それから建築をやりたいと思い、自分でどうしてやるかと考えました。大阪ですから奈良に行くと、東大寺や唐招提寺、法隆寺があるじゃないですか。東大寺をずっと見ていると、この大きな柱をどっから持ってきたかと、疑問に思い、そして凄いなぁと実感がこみ上げてきました。

ご存知の方も多いと思いますが、東大寺の大木は、山口県材のものです。山口県から海や川に浮かべて運んでくると、大阪湾に来て大和川を上がる頃には、樹液が取れていたと言います。約半年ぐらいかけて引いてきたのでしょう。こういう知識を得て、ますます建築が面白いと思いました。

でもその様子を見ていた近所の人がね、安藤さん所の子、かわいそうなことになったと言うんです。(笑) 建築家になりたいと言っているそうだけど、「大丈夫か」と言われる。今の若い人には「意地」というのがないじゃないですか。当時の私は、意地でもなってやると、言い放っていましたね。だから18歳の頃に気合を入れて、本気で勉強しようと思いました。

平沼:相当な想いを入れて勉強されたのですか。

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