古谷:これは鋸南町という房総の町で旧小学校を、体育館は産直市場に、1階の教室はピザ屋さん、食堂、カフェみたいなテナントが入っている道の駅に改修しました。2階はっていうと、その前に縁側を出して街の縁側と言っている宿泊室。これが実は避難所にもなる。本当は体育館をそのまま避難所として使うって言っていたんですけど、体育館よりはずっと居心地のいい避難所になれるんじゃないかと。普段はここで宿泊するお客がとれる、というスタイルですね。これ鋸南町の小学校を改装した道の駅ですけど、ドライブインというよりは、地元の人たちが寄り集まれるような場所としてつくりました。幸いなことに入ってくれたテナントは全部町内の中華料理屋とか色んな所の2代目がここに出店してくれています。後、しゃべり足りないこともあるけど、残りは作品集をご覧いただきたいと。

一同:(笑)

平沼:ちょっと最後に。会場から質問いいですか。

司会:はい。お願いします。

平沼:いいですか。質問をとりましょうか。ありますかね。

会場:今日、古谷先生はご自身の作品について様々考えられていることを聞かせていただいたんですが、大学で次の世代を育てていくという大役も担われているので、先ほど放任主義とか言われてましたが、学生にはどういうふうにこれからの考え方を指導されているかが気になりましたので、お聞かせいただけると有りがたいです。

古谷:僕たちの時が放任主義だったからそれを踏襲していると言えるんですけど、馬を川まで連れていくことはできるけど、水を飲ますことはできない、水を飲むのは自分だって言うことわざがありますよね。さっきの吉阪先生は何が分かっていたかと言うと、大学というところは先生が何かを教える場所ではなくて、学生が自分で学ぶところであるということを分かっていたんです。だけど、学ぶときにこういう物や場所や人もいるというところまでは連れていってあげたいかなと思うので、雲南市とか、いろんな川原に皆で行こうとしてます。そこで学生の皆が食べてくれるかどうかは彼ら次第みたいな、そういう感じですね。放牧って言えば放牧みたいなもんですけど、自分で食べようと思って食べたものほど、やっぱり、身に着くものはないんじゃないですかね。

平沼: 大丈夫ですか?

会場: ありがとうございます。

芦澤:古谷先生はなぜ、大学の先生をやられているかというところをお聞かせください。設計実務と教育と研究っていうのをどのように捉えられていますか。

古谷:大学で最初に僕が経験したのが穂積信夫先生の手伝いで、教えてもいるしつくってもいるということを最初に経験しちゃったから、それが習い性になっているとも言えるんです。けどだんだん、面白さと難しさと意味みたいなものを感じるようになります。現役でなんかものをつくっている先生が建築の設計をするというのは学生にとっては悪い話ではないと思うんですよね。全然設計しない先生が教科書だけで教えるのは大変なことで、中に何人かはつくっている人がいると、実際つくるとこうなんだと、生きたものつくりを教えられる。逆は結構大変で、現実に物をつくるときには色々妥協や制約もあるじゃないですか、だけど教えながらだからとか言い訳もできない。古谷さんは言っていることとやっていることが違うなぁみたいに学生に言われちゃうのも困るし。そうすると、学生もこういう意味があるからってちゃんと乗ってこれられるようなつくり方を絶えず自分にけしかけなければならない。結構大変なことなんだけど。それがなんか、きっと好きなんですよね。

芦澤:ある種のモチベーションにもなるっていうことですね。

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