古谷:ここから暫く、矢継ぎ早にいくつか僕が住宅でつくったものをお目にかけます。これは多摩川にあるUNABOっていう、周りが畑から急速に住宅地化しているところにつくった家です。急速に宅地化しているときは、周りがどうなるのか分からないのね。分からないので、こっちは天邪鬼ですから、普通だと窓がなさそうなところに、窓を付けるという作戦で、隣の家の窓と窓が、面と向かわないようにしたのがこの家ですね。一方、これとは全然違う環境で、これは徳島県阿南市のダムに突き当たる道路から、山奥の奥の奥に入った所につくった家ですが、左側に見えているのがご実家で、その右側に新居を増築したものなんですが、なにしろこの古い家が夏は良いんだけど、冬寒く、冬は暖かい家が欲しいと言うんで、つくったのがこの家です。天邪鬼なのは、南側の方には窓がほとんどなくて、北側に向いているんですね。谷あいで日の出は遅いし、日の入りは早い。だけどかわりに、北側に見事な田んぼがあって、そこからリフレクトしてくる明かりが大変気持ちが良いんで、それを専ら取り入れているという家です。反面、南面は、ポツポツした窓が開いていて、これに朝日が入ったり、夕日が入ったり、時間によって違う窓から日が射してくるんで、日時計の家っていう名前にしました。さらにこれは千葉県稲毛市にある鶯庵(おうあん)って読むんだけど、女流ファッションデザイナーの家ですが、単身で住むと、家って全然違う感じになりますよね。中のプライバシーは、さっきのゲルと同じでワンルームで良いんだけども、これは文字通りワンルームで済むような家。で、お隣が迫っているんですけど、カーテンしたくないと言うのでしないんですね。でもちゃんと、ベッドの所は死角になるようにつくられています。トップライトがあって、お風呂場があったりする。これがオーナーですね。
それからこれ、住宅の最後から2番目です。これがさっきの重ね着している家の一つの答えになっている家で、T博士の家。これ同僚の環境学者の田辺新一さんの家ですけど、普通家は南側に窓が開くんですけど、この家の南側のファサードは、向かい側に家があるから、窓がなくてこれ全部、既製品の通気口と僕らが開発した通気の為の窓が、南側に開いています。そして中に入っていくと、三重入れ子みたいになっているんですけど、真ん中にコアがあって収納があって、その周りにぐるりと居室が取り巻いているような家です。二階に上がると、ここはご夫婦二人なので、さっきの鶯庵ほどじゃないけどプライバシーの考え方が、普通とは変わってきます。ご夫婦だけで、ワンルームだから、台所の外れの方で奥さんが仕事をしてるのが見えたりして結構オープンで良いんです。南側のかわりに、東側に窓が開いていて、カーテンをしなくても中身がよく見えないんです。尚且つ朝日は最初の頃は入るんですが、日が高くなり始めると、全部日差しがカットされて、日射のゲインがない家ですね。ですから、ゲルのような煙突型には作れないんだけど、日本でも考え方を変えると、環境を衣服のように作れると思って作ったのがこの家です。
最近、作った住宅はN家という阿佐ヶ谷の近くに作った家で、外から来た若い人が都心に狭小の住宅地を買って建てたので大変でした。幅が4メートルしかない敷地に切妻をずらして作った家ですね。2階に主たるリビングルームがあって、下が寝室になっている家です。小さなお子さんが3人もいるんだけど、家族が守りたいプライバシーは守りながら、周辺との関係を考えました。自分の家に木が無くても、右側の大きな窓から善福寺川の緑道の緑が見えて借景になる。開きたい方向には開いて、閉ざしたい方向には閉ざせるという。それも、一つの衣みたいな考え方だと思って作りました。以上が住宅ですね。

平沼:芦澤さん、ご質問いかがですか。

芦澤:はい。初めに住宅を紹介されたっていうのは、おそらく古谷先生にとっても住宅に対する思い入れっていうのが割と強くあるのと思うのですが、建築の中で住宅をどのように捉えられて設計なされてますでしょうか。

古谷:月並みだけど、やっぱり住宅には色々なテーマが凝縮されて入っている、一つの建築の原型の部分があると思うんですね。つまり、学校でも病院でも何でも、それはある種の住まいだと考えるべきだと思うんです。学校は、子供たちが一日の長い時間を暮らしてる場所だし、病院は入院してる患者さんにとっては文字通り住まいだと。そうすると、どういう建築物でも短い滞在時間かもしれないけど、それはその時間そこの場所で暮らしているというふうに考えるべきだと思うんです。だから、建築の原点であるというの理由が一つですね。で、もう一つは実は、他の建築種別に比べると、住宅ほど中身が変化するものはなくて、毎年歳は取っていくし、子どもが生まれたり、出ていったり、いなかった親が戻ってきたりと、色んな事でどんどん変わって、毎年こんなに急速に使われ方が変化していくという建築も珍しい。そういう意味で、一種の原型なんじゃないかと思うんです。これもどこかには書きましたけど、僕にとっての住宅の原風景みたいなものを辿ると、僕はさっきのZIGHOUSE/ZAGHOUSEを建てた所に生まれたんだけれど、物心ついて最初に住んでたのは、1歳から住んでいた六畳一間しかない切妻の一軒家の借家なんですよ。うちの母と祖母が仲が悪かったから、別居して住んだ家です。玄関から入って、六畳があって、すぐ縁側に出ちゃう、みたいな家だったんですけど、寝るのも、食べるのも、勉強するのも、すべてを六畳一間でやっていました。もう一つ言うと、その後に今のZIGHOUSE/ZAGHOUSEの敷地にもう一度戻ってきて、離れを作っておばあちゃんを隠居して、古めかしい日本家屋の母屋で我々が暮らすようになったんですが、その家には畳の部屋が九つくらいあって、廊下がL字型になっていて、雨戸が九枚七枚あるような家で、便所はその廊下の外側にある家でした。ここには色んな部屋がありましたけど、ただ畳の部屋が繋がってるから、部屋の用途でなになに室などの名前で呼ばれていなくて、部屋名は八畳とかね、十畳とか言っていました。例えば「あんたそれ十畳行ってやりなさい。」とか、「じゃあこれは四畳半でやりなさい。」みたいな家だったんですが、この小さな6畳1間の1軒家と部屋数9つぐらいあるこの家とに共通していることがあって、これ、要するにユニバーサルなもので、両方とも用途によって名前が付いていないんですね。だから子供部屋とか、食事室とか応接間とか寝室という名前がない。全部同じところでやってるという、建築界の用語でいうユニバーサルスペース、何にでも使うという体験は僕の原点にあります。

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