平沼:この写真が最後の石山さんでした。石山さんは本当に歳をいかれましたよね。すごい。

倉方:老野武士。どうでした?石山先生は?

芦澤:石山さんは先生でしたねぇ。もうほんとに。「石山さん」とは呼べませんでした。いやでもあのすごい真摯に話をして頂きましたさすが歴史を知った建築家なんで我々のことも位置づけながらご自分の話をして頂いて。さすがだなぁと思いました。

倉方:まぁでも石山さんはねぇ教育者としての影響がすごい大きいですから。
だいたいみんな作んなくなるんですけどね。作らない有名人を輩出することにかけては石山研はすごいですよね。だから芦澤さんそんなかでちゃんと作る人ってのは珍しい。

芦澤:うん。まぁ基本的に言うことを聞いてない人がたぶんなんとか作れるんじゃないですか? まともに聞いてると

AAF:みなさん、すみません。せっかく盛り上がっているところですが、時間が押して参りました。
最後、まとめてくださってもよろしいものでしょうか?

倉方:あぁはいはい。でもまとめか!まとめっつってもなぁ。(笑)

平沼:先に会場から質問があればとりましょうか?

倉方:それじゃ、うん質問! ちょっと無茶振り感がありますが、でもやっぱり建築家の生の声を聞くってのはいいなと思いました。でも、こういう場で聞けるか?ってのは、疑問がありますね。
建築系ラジオってまぁ最近僕やってないんだけど、あのやってたんだけど、あれ僕になって思うのは、けっこう酒飲みながらこうやって話したの収録するんですよね。それをなんかだからなんかポッドキャストで配信するんだけど、あれ一番面白かったのは、あのえっとあれ梅林克さんと亡くなっちゃった山田浩二さんが対談してて、で、梅林克さんってのが高松伸さんの事務所にいた訳ですよね。で、山田浩二さんは石井和紘さんの事務所にいてその二人がその師匠がいかにもうなんつうのデタラメというか超人的だった、だからあの梅林さんなんかもなんかトランクに押し込まれて、なんか拉致されて高松事務所に入ったのがなんかそういうなんかすごい逸話をね、ふたり話してて、それもポッドキャストで配信されてんだけど今なんか建築系ラジオの本作ろうっつってそのコンテンツも入れようとしてんだけど、テープおこししてみたら改めて面白いんだよね。いや、だからつまり何がいいたいかって言うと結構その建築家って僕今はその作品からプロジェクトの時代になっても絶対必要だと思うんだけど、その建築家のあり様ってのは建築家からしか学べないってとこありますよね。だからやっぱりその身近で師匠とか身近で見た人から、学んでアレンジしてやってくしかないってその、学校で教えられるもんじゃないから。だからその建築家の声をこうやって実際聴くってのは僕はすごい大事なことだって思うんですけどね。
ただそれをやっぱりレクチャーって形だけじゃなくってなにかもうちょっと広げたいと思った時にどういう形がとれるかなってのは結構難しいなって言う風に思って。どうしてもレクチャーなっちゃうからねぇ。

芦澤:割とねぇ、当初はかなりディスカッション形式でやればと思って、まぁ一年目はまだマシ、まぁこれ反省会になっちゃうんだけど、マシにマシだったというか、まだできたと思うんですけど、まぁぐでぐで話しも多かったですけど、ちょっとやっぱ2年目後半、年々ギャップがこう大きくなればなるほど一方通行な、いわゆる建築家のレクチャーの僕らの司会進行みたいな。それはちょっと反省としてはあるんですね。で、こういうスタイルでっていうのもいい面もあるんでしょうけど、もうちょっとね、なんか倉方さん言われるように酒飲めるような場所で、円卓とか。

倉方:そうね。いや、ぜひ関西は東京とは違う建築家の風土を作って欲しいので、やっぱりレクチャーなんかは東京でいくらでもあるから、やっぱりそういうのはさぁ、そうじゃない形式のものをもっと関西に無いと、やっぱりダメだと思うんですよね。やっぱりそうみるとそう期待してるし。
じゃあちょっと会場から?あ、どうぞ。

会場1:さきほど、前衛という話題でのおはなしを聞きながら、最近、アートからプロジェクトにっていう建築の傾向があるっていうお話しがあって、で、まぁ、ちょっとあえての質問っていうか、ええと、あの、まぁあの、例えばまぁ先ほど前衛ってお話しがあって、前衛っていうとまぁその一歩前に出るっていうことで、独自性とか個性とか、っていうことで言われることが多いと思うんですけれども、そのプロジェクト型になるとですね、その、なにかこう人を巻き込んで行くっていうことで、えっと共感性っていうかですね、そういう側面がこう非常に、えっと必要になってくると。そう意味でその今日、今日というか今後言われるような前衛っていうのは、えー、まぁその共感型っていうか、え、共感を人を巻き込んだ上で一歩前に出るっていう事なのか、それともそのまぁ個性をですね、出して行くという事なのか、あるいはええと、そこにそのこう関西的なとか関東的なことってことがあり得るのかとか、その辺をちょっとお聞きしたいと思ってます。

倉方:えー、ちょっとそのあのどうもありがとうございます。プロジェクトの話しを持ち出したのは僕なんでえーとたぶん、そのまぁ僕も前衛が必要だなと思ってるんだけど、芦澤さんの考えてる前衛の話しと僕の今さっきの話しはたぶんかなり違うと思うんで、それぞれにちょっと答えますけれども、えっと私からするとえっと前衛であることと、プロジェクト型で今、さらに細くして頂いた共感型っていうのは矛盾する話しじゃないっていうかむしろ同じ話しであって、前衛って元々あれはあの、軍隊の用語ですよね。アバンギャルドっていうのは。だから前で守るから前衛なんで、要するにそのピラミッド型にこう進行してくような舞台があったとしたら一番トップんとこにいるところが前衛だから要するに時代のその波を一番最初に受け止める人はどうしてもなんか単独者になっちゃうんですよね。少数派に。それがだんだんだんだん、そのメジャーになってきて次の時代の主流になって行くっていうだからつまり次の時代の主流にいち早く気がついてしまった、あるいは、作れてしまう人のことを前衛って言うんであって、突飛なことをやる人が前衛じゃないんですよ。本来は。ただ、突飛なことや人に前衛って使い方は間違ってはいないので、原義からするとあとのスタンダードになるのをつくる人という意味なので、その意味ではあの別にその共感型というかプロジェクト型ってのはすべて次のスタンダードを作ってくっていう、意味ではむしろ前衛だなっと思うし、その意味での前衛制っていうのはまさに今こそ必要なんじゃないかなっと思います。ただ、芦澤さんの言った前衛ってのはたぶんちょっとそれとは違うと思うんで。どうなんでしょうか?

芦澤:や、えっと、僕もまぁ時には個人がぐっと出て、行かないといけないと思うんだけどあの自覚的な前衛でないと、ほんとになんか訳分かんないことやって、誰も見ないで、一人踊っているようなものっていうのはあの社会的に必要とされる前衛では無いと思うんですよ。で、例え話を出すと、大阪の具体教会、具体派の人達、あの人たち前衛と言われてたとおもうんですけど、まぁ彼らって別に個人じゃなくて、まぁ裸で皆走り回るとか、まぁそれをやってたことがいいかは別として、まぁそれは、日常的なところからの逸脱と、やっぱりそこにこう、共感させるなんか力があったと思うんすよね。えーっと、で、僕らは僕らの時代でそれを、僕らなりにやんないといけないとは思ってるので、なんか、相容れることだとは思ってます。

倉方:もう一個だけ補足すると、なんか、さっき言った最初にこう少数であって、あとでこうなってだからこれが前衛だったんだってあくまでも事後的な説明であって、その一人のときは後の人が付いてきてくれるのかは、分んないわけですね。結局はいま僕がいったのは、評論家みたいな事後的な説明であって、当事者にとっては、そうであると思い切って跳躍するしかないんで、その意味では突飛なことをするのも前衛として、歴史にこうちゃんと最初にするのも同じですよね。だからそれをやっぱり行動者というか建築家としては、やっぱりそういう態度が相応しいと思うし、私は設計はしないですけど、論述家というか執筆家としてそういうのがあるつもりです。つまり歴史家というのはこんなとこでてきて、ペラペラ喋るもんじゃないって皆思っている人多いと思うけど、そうじゃないんだと。これからの歴史家ってまぁ昔もそうだったし最近の日本の歴史家が少し違うように見えるだけで、歴史家っていうのは本来は、現在のことも喋れるのが歴史家なんだからと勝手に思い込んでやってるからそれは同じですよね。勝手に後が着いてくると思い込んでて、実はただの変わり者なのかもしれないみたいな。そこはね、同じかもしれませんね。


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