司会:私たちAAFスタッフも説明をお聞きした事がありますが、本日は伊勢神宮せんぐう館の深田さんなど、とてもゆかりの深い多くの方がご来場されています。
平沼:栗生先生が建てられた『せんぐう館』という建物があって、見に行くと、深田さんが居られるのですが、せんぐう館やご遷宮のご説明に惚れ込んでしまって。壇上で説明してくれている深田さんに飛び込んでいったのですが、たまたま偶然、芦澤や僕と同じ年だったことから仲良くなって、それからせんぐう館に毎月通い詰めるようになりました。だから僕には、この3,4年すごいゆかりがある場所になっています。それを作られた栗生さんの話を聞くのが、今日はとても楽しみです。芦澤さんも一度せんぐう館に行ってみてください。深田さんが説明してくださいます。
芦澤:ありがとうございます。
司会:それでは早速、本日のゲスト建築家の紹介をさせていただきます。建築家で千葉大学名誉教授の栗生明さん。1947年千葉県生まれ。早稲田大学の大学院修士課程を修了後、槇総合計画事務所に入社され79年に栗生総合計画事務所を設立されています。主な作品に植村直己冒険館や、岡崎市美術博物館、平等院宝物館鳳翔館や、伊勢神宮式年遷宮記念せんぐう館、奈良国立博物館なら仏像館など、みなさんもよくご存じの文化的な建築を多く作ってこられました。主な受賞には、日本建築家協会新人賞を皮切りに日本建築学会賞、日本芸術院賞、建築業協会賞、村野藤吾賞、そしてアルカシアゴールドメダルなど国内外で多数の建築賞を受賞されています。それでは栗生先生にご登場していただきます。皆様どうぞ大きな拍手でお迎えください。こんばんは。それでは、ここからの進行はモデレーターのお二人にお任せいたします。栗生先生宜しくお願いいたします。
平沼:どうぞお座りください。簡単にみなさんに自己紹介を頂いてもよろしいですか?
栗生:司会の方が紹介してくださいましたけれどもね、1947生まれ、団塊の世代なのですが、千葉県の市川市というところで生まれました。ちょうど東京都と千葉県の境目になるんですけれど、そこで小学校から高校時代までを過ごして、そのあと東京に移りました。大学院を出てから槇事務所に勤めて、そのあと30歳で独立して、その事務所を38年目かな?続けています。事務所をやる傍ら東京大学で3年間助手をしていたり、文化庁の芸術家在外研修員制度という制度で一年間、2歳半の娘も連れた家族でヨーロッパ中を旅行していたりしてました。事務所やってる最中ですから所員に事務所を預けて行った訳ですけれどもね。1992年からちょうど20年間千葉大学で教えてましたので、二足のわらじを履いてた時期もあるんですね。それで、今は設計に専念しています。
平沼:千葉時代どんな少年時代でしたか?アウトドア派、インドア派?
栗生:学校から帰ると一日中外にいましたね。市川は住宅地ですが、周辺に林があったり田んぼがあったり畑があったり、家の前にきれいな川が流れていて、川に入って魚を捕ったりですね、昆虫採集みたいなことで虫を捕ったり。そういう生活をしてましたね。
平沼:小中高生はどんなスポーツをされてたんですか?
栗生:みんなそうでしょうけども、野球が一番多かったですね。皆さん、三丁目の夕日っていう映画ご覧になった方おられますか?あれに出てくる一平君っていうのが小学校5年生。あれは昭和33年の東京の下町の映画ですけれども、ちょうど同い年です。中高時代は、クラブは演劇クラブだったかな。それに美術クラブとか器械体操だとかで、忙しかったですよ。学校の授業以外の生活というか、放課後が一番充実してたような気がしますね。
平沼:活発な子でしたか?
栗生:ははっ!活発な子でしたね。
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