栗生:そういういろんな体験がね、建築を考える時の一つの基盤にもなっていると思いますね。で、午後から授業に出るんだけれども、設計製図はだいたい午後ですよね?

芦澤:そうですね。

栗生:だから一般教養的なものは全部ネグレクトしたんです。で、夜は先輩の家に手伝いに行くんです。いろんな先輩、2年生3年生4年生の卒業設計まで手伝って、泊めてもらう。そこで設計の手伝いをするっていうのはどういうことかっていうと、次年度以降自分がやる課題を先にやるってことです。

平沼:あー、なるほど。

栗生:学校で学ぶっていうよりも先輩に学ぶ。いろんな先輩から学んだっていう印象が非常にありました。そして日常はそうなんですが、春休み夏休み、それから冬休みは、旅行に出ました。これは建築を見るための旅行で、四国から始めたんだけども、ほとんどヒッチハイクで。四国の丹下さんの建物を片っ端からしらみつぶしに見る。その次の春休みは中国地方、その次は九州だとか、だんだんだんだん北上して東北地方まで行って、それで、あとは北海道だ、と。結局北海道は行けてないんですけれども、大学院に入る直前、まだ復帰前の沖縄に、初めての外国ですよ、パスポートがいる沖縄に行って、それで沖縄からまた船で台湾に行って、というようなそういう学生時代ですね。

芦澤:お弁当屋さんで、じゃあ、相当、稼げていたって事ですね。

栗生:稼いてましたよ。僕は大学院を出て、槇事務所に就職するんですけどね。お弁当屋さんのおばさんがね、それ聞いてね、「えぇっ!?もったいない!」。

平沼:あははは。

芦澤:なるほど。(笑) まぁ、同じ能力給?かもしれませんけど。(笑)

栗生:ふふふ。「な、なんでそんな馬鹿な、あなた弁当売りやってれば天下取れるよ」って。

平沼:あはははは。

栗生:でも、まぁ設計をしたいっていうのがあったもんですから、たまたま、槇事務所。まぁね、建築事務所、自分でやりたかったんですよね。はじめから。だけど、建築事務所ってどうやって仕事取ってきて、どういう風に、仕事を回していくのかって事がまるでわかっていなかったので、大学院の、もうあと2ヶ月くらいで終わるっていう直前に槇事務所に偵察に行ったんですよね。(笑)

芦澤:はあ。はははは。

栗生:やっている最中にね、槇さんが「お前、図面持ってこい」って言うんですよ。で、「図面を見てやるから」って。そりゃあ、天下の槇さんが図面見てくれるって言うので、喜んで図面持ってったら、ずーっと見て、「明日から所員になれ」って。

芦澤:あぁ、そうですか。すごいですね。当時は何人くらい槇事務所はいらっしゃったんですか?

栗生:30人…25、6人くらいだったかな。それが生意気にもね、2月だったと思うけれども、旅行したかったわけです、春休み。だから、“明日から”ではなく、4月1日から行きますって言っちゃって(笑)。たまたまその時、沖縄の海洋博の仕事をしていたんですよ。で、その前初めての外国が沖縄だったでしょ?復帰したのが72年なんですよね。海洋博が75年なんですけれども、73年に槇事務所に入った途端に、まず沖縄に行けと。4月1日に事務所に顔を出して、2日にはもう沖縄に行ったものの、何しに行くんだか全然分かんない。まぁ、「敷地を見に行け」ということだと思います。草ボーボーでハブが出るんじゃないのって(笑)。その時面白かったのは、一緒に行ったのが、杉浦先生っていうラジオの子供電話相談室のお魚博士がいてね。有名人ですがその人と、それから鴨川シーワールドの鳥羽山さんっていう、鴨川シーワールドっていうのは、ご存知の方も多いかもしれないけども、イルカのショーで有名な所なんです。イルカの大専門家。その2人と僕と一緒に、同期で入った東大卒の若月君。まず琉球大学水産学部や漁協に行って、沖縄のサンゴの話だとか、沖縄近海の魚の話、それから、ジュゴンはどの辺で捕らえられるかとかね。或いは、イルカのショーを博覧会でやりたいから、イルカを訓練する場所はどういう所が良いのか。或いは、サンゴを展示するにはどういう風な条件がいるか。自然光が必要だからね。で、自然光が入ると藻が生える。そういう色々マイナスの面もあるんだけど、そういう事の、ヒアリングをずーっとして回る訳ですよ。

芦澤:と、飛び込みですか?そちらも。

栗生:あ、それはもう、予約を。

芦澤:予約をされて。はい。えぇ、えぇ。

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