平沼:これからの社会における建築家の役割についてお聞かせください。どのような役割を求められ、または担っていく覚悟をもった方がいいですか。

安藤:建築家っていうのは、何もないところ、0(ゼロ)から考えていくわけですが、大きな建物をいきなりつくっても、街の人がコミットする場所が少ない。それよりも重要なのは、住宅や店を、その街に合わせて、街のことを考えて改築したりする。小さい単位でも取り組むことはたくさんありますし、それでも、十分意義のある楽しい仕事だと思います。まぁ、超高層を建てようと思うなら、それは組織事務所に任せて、もっと身の回りにある街のことがきちんと設計できるようになってほしい。特に若い人たちは、これからの日常生活を、設計課題の継続的な練習として努めてほしいです。そして建築の設計は、組み立ててゆく仕事です。だから設計者自らの人生も組み立てる。例えば、長寿命になる若い人たちみなさん方に、90歳までこういうふうに生きるというふうに、人生を計画し、組み立ててほしいと思います。そしてその人生と同じように、建築も組み立ててください。この場所に、予算である総工費が極限に近い1,000万で、どこをレベルアップして、魅力的にしてゆけるのか組み立ててください。手当たり次第で、わかることだけやっていたのではダメです。そしてこんな小さな仕事を通じて自分の人生もぜひ、組み立ててください。

平沼:なるほど。

安藤:時代が違いますが、私が先ほど見せました富島邸という1番最初につくった家は、工事費が360万円です。住めるギリギリのところで創ろうと思ったのですが、そういう想いをもって挑めば、なんでも可能性があります。だけどね、可能性が自分の中に無かったら、それはもう何もなくなるのです。

平沼:厳しいお話しでもありますが、やっぱり現実を示してくださっている分、お話しが楽しくて、いつまでもお聞きしてみたくなります。それでもこの時点で、終了時間が過ぎてしまっています。芦澤さん、この辺りで最後のご質問をされませんか。

芦澤:はい。先生が建築をつくられるだけではなくて、最初のお話でも、30、30、30って、ボランティアと教育と設計事務所で、という事をおっしゃられていましたけど、そういう意識でやられようと思われたきっかけは、どこからなんでしょうか。

安藤:パリのユネスコの真ん中に瞑想の空間というのをつくったのですが、この依頼のはじまりにマイオールという、当時のユネスコの総長から受けた電話が、今思えば、一つのきっかけとなりました。「まだ世界中に戦争が多発しているから、平和のためのモニュメントをつくりたい。でも、お金はありません」と、こう話されたので、「まぁ、お金を集めてつくろうか」と思ったのが1985年ごろです。

阪神・淡路大震災の後も、被災地の皆さんが困っているだろうから、少しぐらいはサポートできるんじゃないかと思って、遺児育英資金をつくりました。

そして2004年から取り組んだ中之島の「桜の会・平成の通り抜け」は、市民から寄付を募って、大川・中之島一帯に桜を植樹する活動ですが、1本の木を植えるのにだいたい15万円程必要なのです。内訳は、5万円が植樹費用、10万円が30年分のメンテナンス費用です。15万円で1本植えることができるので、3,000本植えようとしたら4億5千万円が必要となります。

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