樋口:今からー、もう、70年ぐらいですから…。45年以上前に日本政府から、21世紀の日本がどうなるっていうのを頼まれます。その時僕も一緒にいたんですけど。21世紀、30年後どうなる。その時、5つの大学かな。チームを作って意見を聞いて。その時、日本をこういう風にどんでん返しするっていうのをやります。わざわざひっくり返すっていうのが、面白いとこで、大阪・東京に集まってる血を、東海道に集まってる血を、逆さまにするとみんな流れていくだろうと。最後バラバラになるんじゃないと。要するに、今、鬱血してる、日本を逆さまにすると日本中の都市、街に血がまわりだす。まちはこうあるべきだと。で、それぞれが独立してからネットワークを組もうと。今でいう、いわゆる情報社会のネットワークも含めて彼は言ってたのね。いくら遠くでも、ネットワークを組めると。今の情報社会になるだいぶ前に予言していた。
もう一つは、海から陸を見ようと。今、日本海の問題で色々ごちゃごちゃしてますけど、彼は、日本海から例えば、陸から見て東京がここにあって北海道がここで、じゃなくて、海から見ると、裏日本と呼ばれる所が朝鮮とかロシア、中国を相手にした時に表になる。それから、沖縄は日本の末端じゃなくて、沖縄を中心に見ると、東シナ海の真っただ中に浮かんだ島で、海を介して貿易があったり、仲良くしたり、日本に属さない方がむしろいいかもしれない。
もう一つは、東京の解体を。これは1945年の3月10日、東京大空襲です。10万人が死んでます。それを、彼は平気な顔して、「東京を改造するチャンスだった。失敗した」と。その前は関東大震災。我々の提案としては、山手線の中をみんな緑化しようと。それを真面目に信じてて、30年かけて徐々にしていけばできるよって彼は言ったんです。福島の原発事故は東京という制御不可能になった巨大都市の犯罪です。もう政治、経済では対応できない。東京に住んでいること自体が犯罪者である。東京解体しか道はない。あと、今度のオリンピック会場なんかで、槇さんはえらいなーと思ったんですけど。本来あそこに建てちゃいけないものをつくってる。建築家だったらはっきり断るくらいのね。だらしない建築家はすぐ仕事を受けちゃう。

芦澤:はははははは。

樋口:受けちゃうだろ? ああいう時受けちゃいけないんだよ。

平沼:ははは。

芦澤:ふふふ。

樋口:断る。つまり、山手線の中は緑化しなきゃいけない。ね。決まってんの、そういう風に。

芦澤:ふふふ、決まってる。

会場:(笑)

樋口:だから僕らは受けちゃいけないの。弟子だから。まあ、彼が死んじゃったら、ね。山手線の中はもちろん、あんな大きなものを建てちゃいけない。

芦澤:ちなみになんか、山手線内でやられたプロジェクトっておありですか。

樋口:いや、残念ながら無いんじゃないかなぁ…。幸いか。

芦澤:幸いですね。

会場:(笑)

樋口:一方ではね、こういう非常に多様な世界を、要するに、てんでバラバラ、雑然とした世界を理想とする。

芦澤:今のは竹富島ですか。

樋口:竹富島、よく知ってるね! ちょうど僕達、竹富島から呼ばれたんだよね。街をどうするか、街がどうあったらいいか。その時ね、竹富まんだらっていうのを1枚だけ書いてね、これだ!とか言って受け入れてくれる人もいたんだけどね、彼は最後有形学にいきつきます。世の中の政治、経済、文化とかそういうので、ちっとも平和にならないじゃないか、難題は何一つ解決しないじゃないかって、じゃあ形でどうだと。形あるものを勉強か、研究していくことによって世界の平和は生まれるだろうっていう、この時は本当に平和の戦士といいますかね。自分のことをドンキホーテに例えて、巨大な風車にぶち当たっていくわけだ。その原点になるのが、場所をしっかり見すえること。例えば僕達でいうと、これは沖縄の集落調査なんですけど、集落はどう成り立ってるのか。この時、川一本を中心に山から海までで生活が成り立ってるっていうことを発見する。或いは彼の住居っていうのは、街中でどうやったらみんなで仲良く生きていけるか、自分達が幸せになるかっていうのを実験した住居。戦後、最初にバラックを建てる。バラックってやっぱり素敵でね、今もうなくなったんだろうけど、そこの場所にそこにある材料で作んなきゃならないっていう本当の原点。僕達は今、偉そうに言うけど、色んなところから材を持ってくるわけだ。ここにいる半分ぐらいの人はカタログの記号で素材をきめる。ものの素材もみてない。ところがバラックっていうのはここに落ちているものとかさ、そういうものでやるでしょ。

芦澤:観察しますよね。

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