内藤:実は三重県の原発反対運動の旗を振っていた人で。海の環境が変わる、と。漁民の立場からですね。それで、電気はできるだけ使いたくないと。電気なくても暮らしていけるようにしたいって言っていたもんだから、ともかくローコストで、エアーコンディションはしないという前提であの収蔵庫はやっています。ずっとデータをとっているんですけど、学芸員の人に「120点です」って言われています。(笑)船の部屋は、湿度がある程度ないと木造船が割れていっちゃいますから、60%以上というようになっていますし、先程見た網の部屋とかは、逆に乾燥しなきゃいけないので、45〜50%ぐらいの湿度で推移していかなきゃいけない。そういうデータを取っていて、だいたい、上手くいっていますね。

平沼:続けてもう一題。

芦澤:牧野富太郎記念館です。

内藤:聞かれたら答えるよ。

平沼:これはどういう経緯で依頼がきたのですか?

内藤:話せば長くなるんだけど、色んな縁があった。海の博物館の展示棟の展示をしたサザンクロスって会社があって、そこのデザイナーの里見くんっていうんですけど、「内藤さん会ってほしい人がいる」って電話がかかってきた。それで、彼の遠縁の里見さんっていう旧牧野植物園の園長に会いにいったんです。良くある話で、公共建物なんで、園長が建ててほしいって言っても、そういう風にはなかなかならない、とは思っていたんだけど、その当時、高知県立美術館の館長だった鍵岡さんっていう人は、前にセゾン美術館の学芸部長をしていて、その頃から知り合いで、それから当時の知事だった橋本大二郎さんをちょっと知っていたんですよね。それで、その橋本さんに言われて、議員連盟、県議会の人たちも、こういうものをつくるんだったら「海の博物館」を見なきゃダメだとか、ということでみんな行っていたりとかで、4つぐらい縁が重なったんですよ。

平沼:なるほど。

内藤:所謂特命ですね。議会で議決をしてもらって特命で受けた仕事です。

平沼:なかなか珍しいケースですよね。

内藤:ほとんどないですね。自治体とか、力を入れて作る建物は、本来はこういう風にするべきだと僕は思いますね。というのは、その指命された方のプレッシャーはものすごいんですよ。コンペだと、勝ったとか負けた、っていう話になるだけ。だけど、「あなたお願いしますね」って言われた時の責任感はその何倍も感じる。本来、建築家が立つべき場所はそういうところに生まれると思いますね。そういう緊張感をもってやった仕事でした。

平沼:なるほど。どんなオーダーがあったんですか?

内藤:ほとんどなかったです。それが逆に難しかったんですよね。当初、県が考えていたのは、手前の奥まった敷地しか手配できていなくて、そこに4階建てのコンクリートの建物を建てるというプログラムだったんですよ。それはちょっとね、地形もかなり切り崩すことになる。五台山っていうこの山は自然が豊かで、牧野富太郎がすごく愛していたところ。それから高知の市民も、必ず子供たちは虫取りにいったり植物採取に行ったりする、市民から非常に愛されている場所なんですね。設計していたときに、高知市内ではよく言われるんですよ。「あんたあそこに変なもの建てたら許さないからね」みたいなことを。それで低層で考えることにした。それから、高知市内からほとんど見えないようなつくり方にしたい、ということを言って、こちら側の敷地を県に買ってもらって二棟に分けて計画した。今は回廊になっている間の敷地も基本設計が終わるくらいの時には手配できていなかったんですよ。手配していないと孤立した敷地になってしまうので、「内藤さん与条件が変わるかもしれません」と県の人に言われながら設計をしていたんです。

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