芦澤:最初の作品ではないですよね?

藤村:いや、新築の単体としては最初の作品ですね。400坪ほどあったんですけどね。結構大きかったので、必死にやっていました。

平沼:今日、会場に学生さんも多く、難しく考えると難しいので、取っ付きにくいタイプだった藤村さんが個性にしていったんですね。それってこの先も同じようなやり方でやっていかれるおつもりですか?

藤村:私はずっと大学にいたんですね。だんだんTAとかやりますよね。そういう時に学生とどう接するかって最初は結構悩んだ時期があったんですけども、だんだん分かってきた事が、学生には「抑揚をつけないで接する」ほうがいいという事です。つまり「君は天才だ」みたいな事は絶対言わない。学生を励まそうと思って「キミは逸材だ」とか言ってしまう人いるんですよ、たまに。

平沼:いますね。

藤村:でもそれは学生に動揺を与えるだけなので、どの人にも同じように接することのほうが大事なのだとある時期から気をつけるようになりました。あまり抑揚をつけずに棒読みで、棒立ちで接するという事をやるようにしたらだんだん学生が警戒せずに近寄ってくるようになったんですね。つまり、学生というのは基本的に「この人に私は嫌われているんじゃないかとか」「この人は自分の事をよく思っていないんじゃないかとか」という警戒心を最初は凄く持っていて、警戒心を解いていかないといけないんです。だから全員に同じようにパターン化して答えていると、かえってコミュニケーションが取りやすくなる。
建築の設計も同じように、あんまり抑揚をつけずに進めています。これは塚本由晴さんとか、その師匠の坂本一成さんもそうだったんですが、急にインスピレーションが湧いて「ひらめいた!」みたいなのがあまりないんですよ。スタディを毎日同じようにやっていく。山登りみたいに、ずーっと一歩一歩歩いて行くと、あるところで振り返ったときに随分高い所まで来たなって、そういう設計の仕方をされる。
私はもともと安藤忠雄さんの「光の教会」のプランとかに憧れていた世代です。安藤さんのクライアントのインタビューなどを読むと、最初の打ち合わせのあとほとんど連絡がなくて、何ヶ月か後に安藤さんから「ひらめいた」と言って突然連絡が来た、という話などがよく出て来るので、設計の作業ってそういう物かと思っていたら、どうも塚本さんや坂本さん達の考え方はそれとは違っていて、ピークをつくらずにずーっと淡々と設計していくものだと考えているらしいことが分かりました。自分もそれがなんとなく合っていたんですね。やがてそれが個性だと思うようになってきました。没個性的な個性というか。

平沼:藤村さんが刺激を受ける建築家っていらっしゃいますか?

藤村:私は1976年生まれですが、目の上のたんこぶみたいな、いつも刺激的な存在としてはやっぱりおふたりの世代である1971年生まれの方々ですね。藤本壮介さんとか、平田晃久さんとか、結構ひらめき系の人が多いじゃないですか。

平沼:(笑)

芦澤:最後の世代かなあっていう(笑)

藤村:いろんな方がいらっしゃるとは思うんですけども。藤本さんも平田さんも石上さんも、インスピレーションを元にして、膨大なスタディをして、もの凄くエネルギーをかけて設計していきますよね。中山英之さんなんかもそうですが、自分からすると憧れの先輩ぐらいの距離感の方達で、そういう方達に大学院に入った頃すごく刺激を受けました。でも日頃からよく会って議論する相手という感じでもないですね。実際に会っても話が通じるかっていうとあまり通じないかも知れない(笑)。藤本さんには「やぁ、藤村くん、もっとさぁ、そんなプロセスとか言ってないでもっとドカンとやっちゃったほうがいいんじゃないのぉ?」とよく言われるのですが(笑)。

平沼:ははは!に、似てるー(笑)

藤村:自分はそうは思わなくて…。そういう意味では、建築家で話が合うなと思ったのはやっぱり関西の同年代の人達だったんです。家成俊勝さんだとか、山崎亮さんとか柳原照弘さんとか。そういう人達と議論するにようになって、最初はそこからたくさん刺激を受けました。

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