会場1: 14歳の頃の作品で、『瞑想真』というものを設計され、人というのは瞑想するものとおっしゃっていました。それから年月が経たれ、現在人といえばどういうものかという建築を建てるならば、どういった建築を建てられますか?

高崎:それは永遠のテーマです。僕が日本人で一番関心がある人は、みんな俗世間から離れた人です。その人達が俳句とか華道とか茶道とか武道を作ってきた歴史があります。例えば芭蕉も千利休も世阿弥だって、みんな俗世間から離れています。一人孤独で死んでいっています。そういう彼らの功績が日本の文化という形で世界に評価され、日本人は精神的に恩恵を受けています。僕はそういう人たちに関心を持っています。中学校の時の問題もまだ解決してないし、自分の中で同じことが解決出来ないところにいます。子供の頃と今変わったのは、多くの日本人が死んだらそこで終わりという意識が強くなりました。それは宇宙開発に伴って、いわゆる彼岸の世界が消えたことが多くの大衆の心をざわつかせているからだと思います。ということが僕は昔と今の人の違いかなっていう。それを建築設計において、どう構築できるのかと、日々考察を巡らせています。

平沼:もう一方いかがですか?というより、今日新田先生いらっしゃるのでどうでしょうか。

会場2:今後、可能性があるのはやっぱり子供だと思います。だけどさっきから言っているように、時代がこういうようになった時に、子供が社会に来ないので、情操教育しようと思っても、色々影響がでています。その時に高崎さんの突破力だけでいけることもあるかもしれないけれど、難しいかも知れません。僕も考えていますが、日本に限らずですが、どういうことをしたら、何かできないのかということを、どう考えているのか、聞きたいです。

平沼:いかがですか?

高崎:難しい質問だね。ヨーロッパに行くと、ヨーロッパの若者だけが自分たちが世界を背負うという、広い志を持っています。それは、僕は良いなと思います。そういう人が日本からも出てくると思うけど、多くの人がビジネスでもどんどんやればいいし、でもそうでない人は圧倒的な静けさを持って、コツコツと作っていかなければならないです。それはスポーツでも建築でも、それから文学でもそうです。その役割はすごく大きいと思います。僕は、ロンドンオリンピックの時に記念講演したのですが、今の時代は昔と違って異文化の人でも理解し、共感してくれるようになったと感じました。昔よりは話せば分かるというか、話したらわかるという時代が来ています。ただ戦も戦で、争いももちろんありますが、話せば分かる時代がきていて、繋がってきているという気はします。

会場2:優秀な人よりも、やっぱり才能も大事だと思います。政治家も才能ですし、どんなジャンルでも才能が大事だと感じます。それは今、義務教育というか、偏差値教育を受けてきているので、なかなか面白い奴があまりいないです。だからいいキーワードがなにか、動かせるようなものがほしいなと思いますが、なにか無いですか?

高崎:座っていると手先仕事になります。でも立ってすると全身運動になります。ちょっとした動作を変えることによって新しい建築が生まれるし、学生も建築する喜びが生まれます。全身運動で、線を引くと自分でも意外なダイナミックな線が生まれることによって、すごく感動します。そういう教え方をしていくと、変わっていくと思います。

芦澤:わかります。日本人の動きはすごく独特だと言われています。縄文時代から、軸線が1つではなくて、剣道とか合気道もそうです。軸線が常に一本ではなくて、二本くらいにゆらついているのが、身体運動と建築の創作活動が繋がっていると結構面白いという気がしました。やっぱりヨーロッパの猿マネでは、ダメだと思います。

平沼:12月24日にクリスマスやって1週間後に正月やる簡易的な国民ですからね。

高崎:今は商業資本の時代で、それはマーケティングの仕掛けの罠にはまっているわけです。だからそういうのを理解出来るようになればいい。そういうものを理解したうえで、新しいものを目指すという、ダイナミックなパワーがあればいいと思います。

平沼:最後の質問です。建築家とはどういう職業だと思われますか?

高崎:建築家っていうのは職業というよりも職能です。建築家とか、お坊さんとか、聖なる職業です。そういう意識がないと、だらしなくなります。品格とかが崩れかかっている現代だから、聖なる職業だって意識を持ち現場と向き合ったりとか、図面に向き合ったりすると、いいのではないかなという気がします。

平沼:ありがとうございました。

芦澤:ありがとうございました。

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