平沼:もう一つ、建築と地域性の関係についてどのようにお考えですか。

石山:僕は、建築と地域性っていう言葉の使い方には関心がなくて、大阪と東京の違いとか、そういう赤裸々な言葉の使い方には非常に関心がありますね。それで、大阪と東京は違う。それから、芦澤さんは東京から大阪に流れて来てるんだけど、昔の坂田三吉みたいに大阪で修行して東京に出て行くなんてのは本当に馬鹿だと思う。やっぱり、大阪ってすごい面白いとこですよ。そういう意味で、上海と同じだなぁと。中国で言ったら北京と上海がまるで違う国だというぐらい。ドイツで言うと東ドイツと西ドイツが今でも全然違う。ワイマールとフランクフルトは全然違う。偉そうなこと言うけど、それを言うために来てるようなもんでね、そういうことを大阪の人は考えてもらいたいと思ってます。

平沼:例えば石山先生が大阪に建築を作るっていうことになれば、かなりその大阪の地域性っていうものに引っ張られますか?

石山:だって、地域性…全部建築って場所があるから。わかりやすく言うと、全部敷地一個一個違うじゃないですか。だから洋服の青山だったらみんな同じでいいんだけど、建築は、一個一個違わざるを得ないんだよね、土地が全部違うから。だから普遍性っていうのは本当はおかしいんですよ。敷地に合わせて作ってるんだからね。これはもう本当に、特殊な産業ですよ。そういう風に思ってる。

平沼:なるほど。もう一つ、建築とアニミズムの関わりについて考えをお聞かせください。

石山:アニミズムっていう、これいきなり、変な言葉が出てきてるんだけど非常に今関心を持ってて。よく、同世代の人たちはモノ作りとか言うんだよね。モノ作り教室とか、モノから離れられないとか、あるいは、物の怪とかね。モノっていうものって、そういうモノっていう言葉はどこから来てるのかっていうことは誰も知らない。でもモノっていうのは、ちょっとペダンチックに嫌味を言わせてもらうと、アニミズムよりもっと古いのでね、マナっていうのがあるんだよね。マナニズムって言うんですけどね、メラネシアの、モノの中に全部独特の何かがあるっていう考え方。これは言語学者から教わったんだけど、変化してるんだよ。万葉の、日本の古語から説き起こしてくると、今、我々がモノって言ってるのはそういうとこから来てるっていう風に。モノを作りたい、僕は最後までモノを作りたいんですよね。モノがないと、なんか切ないんだよね。それが何かって言うと、やっぱりそれは本質的、非常に大事な事じゃないかなと思ってるんですね。

芦澤:それは例えば、場所固有のゲニウス・ロキ的な話だとか、その土地に住む神とか。

石山:おまえもインテリだな。ゲニウス・ロキって鈴木博之さんが言ってる言葉ですよね。地霊でしょ。 鈴木先生にはまだ言ってないけど、あれは基本的にはアニミズムですよ。バウハウス大学からちょっと外れた公園に、グロピウスなんかがいつも散歩していたと思うとこに、ゲニウス・ロキの石碑が立ってるんだよね。太い円柱を蛇が巻いている。その近くに、アイヌの小屋みたいなのが作ってあるんだよ、で、ここに神様がいるって言うんだよね。その脇に、ヨーロッパの人ってローマの遺跡好きなんだよね、遺跡がないと不安でしょうがないんだろうね、そういうものもあってね。 そこからモダンデザインが出てきたんでしょ。バウハウス大学の隣は墓場ですよ。

芦澤:なるほど。

石山:だからねぇ、教わった近代建築史ってのはかなり怪しいなっていう感じがしてるんだよね。

平沼:もう一つ。マイノリティのための建築についてお話いただけますか。

石山:マイノリティのための建築って、マイノリティっていうのは弱者だから。これはまあ僕ですよ。それからあなたでもある。自分をエリートだとか、上に立ってると思ってる奴は何もできないと思うよ。自分も、弱者であると。弱者って言い方もおかしいけどなんか、不健全者? 障害者、モノを作りたいなんてのは障害者だよ。うん、儲かんないしね。でも非常に重要な仕事だと思うんだけど。だからマイノリティのための建築っていうのはキザなこと言うけど、自分のための建築ってことじゃないかなと思いますよね。

芦澤:一方でその、大衆のための建築とか…

石山:いや、大衆って俺のことだからね。大衆って自分も含めて馬鹿で、賢いんだよね。本当に、そう思いますね、つくづくと。

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