芦澤:この質問はいかがですか? モダニズム時代と現在…

藤森:なんか・・・他の人に聞いた方がいいんじゃないかと思って。こんなこと俺に聞くなって感じですけどね。ただ、根本的には考えてるんですよ。私が建築の道を目指したときから考え続けてる大問題としてあって、その結果「ベジタブルシティ」みたいなところへ行きついているんですけど。だから、あそうだね、現在の資本主義のよるグローバル社会について建築家がなしうる役割とは、もう「ベジタブルシティ」を出すしかない。

平沼:大きな建築を依頼されたときどうされますか?

藤森:僕の理想はね2つあって、1つは王様になること。それが1つの夢。もう1つは新興宗教の教祖になること。これは難しい。だから唯一の僕の夢はですね、新興宗教で1万人を超える教団から頼まれることです。僕は理想があってね、その1万の信者が10年位かけてずーっと建物を、毎日つくり続ける。ある時出来上がったときに、その1万人が現場から降りてくると、そこにスクッと建築が建っているっていうのがイメージなんですけどね。
建築はやっぱり自分でつくるのが一番いいんですね。茶室がそれに近いんです。だけど普通の建築をつくるときは、施主を含めたり、地域の子どもたちが参加できる部分を最初から必ず設定している。21世紀で建築っていう産業が徹底的に重要な役割をもっていると思うんですけれども、現代の産業の中で素人が参加しても問題が起きない可能性を持っているのは建築だけなんです。たとえば建築って現場行ってみるとわかるんですけど、誰でもやることが必ずある。養生という汚れないようにすることとか、ご飯をつくるとか、やれることはあるんですよ。土壁だったら子供一人でも塗れますよね。もう一つ大事なことは、自分がなんのためにやっているかが人でわかるんです。たとえばご飯つくっている人だったら、僕の工事現場では施主の奥さんがご飯つくりますから、なんのためにつくっているかわかるでしょ。養生している人だって、汚れないことがどういう意味で難しいかわかりますよね。ところが現代の産業で例えれば、トヨタの工場ではビス1本落ちていたら全台とめますよね。ビス1本でも落ちてたら大問題ですよね。けど建設業ではビス1本落ちたって全然大丈夫ですよ。建設業は今でも素人が参加できる余地を残している。そういう現代産業ってもうほとんどない。建築の独特なところなんですよ。現場で1品しかつくれないという事情がありますので、特に住宅がそうですし。つまり人間と自然とか、人間と産業とかを考えるときに建設業っていうのは非常に文明的にみて重要な意味をもっていると思っています。

芦澤:はい。じゃあ大きいものをやるときもやはり

藤森:必ずワークショップ。

芦澤:みなさんでやっていくような。

藤森:そうそう。いくつか大きい仕事はじめていますけどね、施主から言われたりするからね。あなたに頼んだのは、地域の人がちゃんと参加できるようにしてほしいからだと。そういう時代になっているかどうかは知りませんけども、大きな博物館を頼まれたときも、特に子どもを参加させてほしいと言われます。建築基準法とか労働基準法で現場は決められていて、その中でヘルメットをかぶらない人や登録されていないひとが入るのは法律で禁止されているんです。だけど現場っていうのはちゃんと線が引いてあって、その外であれば労働基準法の問題がない。びっくりしたのは、ある建物の中で表面を焼きたいって言ったら、それは困るって言われて。労働基準法の中で火が勝手に出るっていう状態は絶対に許されない。じゃあその基準法の労働基準法の枠あの外だといいかっていったらそれだとやってくれる。木造だったので外で焼いて組立てました。労働基準法でも、現場の少し離れたところでやるのは大丈夫。あるいは竣工検査のあととかは大丈夫。だから土壁を残しておいて、竣工検査の後に子どもが塗るのは全然大丈夫。そういうふうに考えると、子どもたちを参加させることができることは結構ありますよ。

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