平沼 : 今日ね、大良さん、最終の新幹線に乗って東京にお戻りにならないといけないのです。

西沢 : そうだった!そうなのです、すみません。笑

芦澤 : そうでした。次の質問にいきましょう。なぜ建築家になろうと思ったんですか?そのエピソードがあれば、教えてください。

西沢 : 僕は長いこと、自分は数学者になるって思ってまして、友人や教師からもそう言われていたんだけれど、一度だけ自分よりも数学が出来る人間に、高校2年の夏に会ったんです。それがものすごくショックでね。点数にすればたった3点なんですけど、その3点を採るには、あの壁を越えたっていうのが、こっちにはわかるんですよね、同じ問題だし。それで、そいつに「どうやって解いたの?」って聞いたら、そのアイディアがすごかった。非常にクリエイティブな解き方で、その創造力にショックを受けました。それで、どうも数学は無理かもなと…つまり僕は数学教師になりたかったわけじゃなくて、天才数学者になりたかったわけなんです。でもこんな高校で二番じゃ無理だろうなあって。それで、数学以外に自分にできることがあるかしらと思って、大学の学科リストを見てみたら、建築っていうのを見つけた。僕は物理とか化学とかはあまり尊敬していなかったので、大学行ってまでやる気はなかったんだけど、建築っていうのはちょっと違うかもしれないと思った。そういう意味では消去法で建築学科に入ったようなものです。

芦澤 : なるほど。

西沢 : 大学に入ってみたら、教授に篠原一男っていう建築家がいて、その人は若い頃に数学者から建築家に転向した人なんですよね。1年生のときにそれを知って、ひょっとすると建築ってすごいジャンルなのかもしれないなあと、興味を持ちだしました。それから実物を見に行ったり、設計課題をやったりして、没頭しはじめました。

芦澤 : なるほど。では次。「最近どんな建築をつくりたいと考えていますか?」。いきなりなんですけど。

西沢 : はい、最近こういう本を出しました。さっき芦澤さんからの紹介にもあったんですが、最近の6年間くらいの、木造の作品ばっかりを集めた「木造作品集2004 – 2010」っていう作品集です。今日はその一部をスライドでお見せしようと思っていますが、どんな建物をつくりたいかと言えば、木造ですね。これは過去10年くらい思ってきたことで、そのための努力もそれなりにしてきたんですけども。

芦澤 : もうコンクリートはやらないですか。

西沢 : いや、もうちょっと木造をやってから、コンクリートや鉄骨をやりたいです。木造をやると、建物の見方が変わってくるので。

芦澤 : はい。木造のつっこんだお話はもう少し後で詳しく聞かせていただきたいと思っていまして。あの、大良さんの建築を見ていますと、すごく光について、もちろん近代から建築家が光についていろいろ語ったり、作品のテーマにしてると思うんですけど、ちょっと独自の視点があるんじゃないかなと思って、その辺を少しお話しを聞かせていただけると。

西沢 : はい。具体的な光の処理の仕方については後でスライドをお見せして話すとして、ここではなぜ光が重要か、という話をしましょうね。一番大事なことは、現代建築にとっての光の問題が、古典主義建築における光の問題とは違うということです。現代建築の場合はコンピューターの影響がありますからね。つまりポストwindows95の建築はどういうものか、みたいな話になるんですが、昔はコンピューターがなかったわけですよね。そこに突然コンピューターというテクノロジーが登場しました。具体的にはCGでもいいしCADでもいいですけど、そういう新しいテクノロジーが出てくると、ある変形が回りに起こるんですね。回りのあらゆる表象ジャンルの価値基軸が変形するわけです。例えば、過去の有名な例では、写真というテクノロジーが出現したために、画家は抽象絵画にいかざるを得なかったという話がありますよね。風景を写生しているだけでは写真に負けてしまうということになってしまった。写真の出現によって、絵画の価値基軸が変形したわけです。別の有名な例をあげると、映画というテクノロジーが出現したために、小説がジェイムズ・ジョイスみたいになっていったとかですね。ナラティブなストーリーをやるだけなら、映画の方が向いてるということになってしまった。では小説でできることはなんだろう、それは言語的なクリエイションを追求するしかないっていう、そういう問題です。つまり映画の出現によって、小説の価値基軸が変形してしまった。

芦澤 : はい。

西沢 : そういう事件の最新版が、コンピューターの出現なんですね。もちろんコンピューターは理論としては30年代、実物は50年代からあったわけですけれど、汎用コンピューターの段階になって事件になったと思います。コンピューターが建築に与えた影響は、まだ過渡期というか変形中なのですが、無視できないということだけははっきりしたと思います。実際、伝統的にこれこそ建築だと言われてきたような事柄が、けっこうコンピューターの方が向いてるぞって話になってきましたから。

芦澤 : ええ。

西沢 : 例えばプロポーション。長いことプロポーションこそ建築の命である、比例の問題(プロポーション)を完璧に表象するのは建築の独壇場である、ということだったのに、実はCGの方がプロポーションは自由自在に扱えるよ、ってことになってしまった。プラトン立体はハリウッドのCG映画でいくらでも見れるんで、わざわざ何百億円の建物を何年もかけて建てることもないかもよってことになってしまった。もちろん、今後も建築でプロポーションなり黄金比なりをやってもいいんですが、建築の固有性は、もうそこにはないと思うんです。建築の価値判断は、将来的には別のことでなされるようになっていくだろう。となると、コンピューターでは扱えなくて、実物の建築物で扱えるものはなんだろうって、考えることになりますよね。

芦澤 : はい。

西沢 : もちろんコンピューターに乗っかって、アメリカのブロッブ系みたいにやっていく道もありますけれど、僕はそこにはあまり希望を持てなくて…つまりブロッブ系というのは、モンドリアンの絵とデスティルの住宅が似ているみたいなもので、新しい地平が開けてこないというか、ドン詰まりだなあと。もっと今までにない暮らしがはじまりそうだとか、すごく快適な街が生まれそうだというようなことは、どうもなさそうだなあと。だからコンピューターではできないことの方を考える。さっきのプロポーション、それは残念ながら建築の専売特許ではなくなりました。では構成の問題はどうか。これも同じようにPC の方が上手だと思います。ではダイアグラムはどうか。これも残念ながらコンピューターの方が上手です。グラフィカルな効果、これは話にならないです。カラーリング、ぜんぜん負けてます…と考えていくと、けっこう持ち札がなくなってきているんですね。

芦澤 : なるほど。笑

西沢 : あるいはテクスチャーはどうか。これもやばいです。ハリウッドの映画とか見ると、こんなにものすごい輝く物体を見せてくれるなら、もう3D映画の方が断然いいじゃないかと。ステンレスやガラスなんてショボすぎるじゃないかと。

芦澤 : はい。

西沢 : そういうなかで、やっぱり残るものがあるのですね。そのひとつが、自然光だと思います。もちろん人工光(人工照明)であればコンピューターの方が得意なのですが、自然光、つまり天空光や太陽光というのは、コンピューターでは表象しにくいんですね。例えば今朝みたいな曇り空だと、天空照度はだいたい9千ルクスくらいだと思いますけれど、そもそも天空照度って一定してませんよね。つねに揺らいでいて、刻々と暗くなったり明るくなったりしている。これをコンピューターで完全に再現しようとすると、国家プロジェクト並みの予算が要ると思うんですが、建築で扱えばタダですね。そういうものは建築向きだと思うんです。

芦澤 : なるほど。

西沢 : それと、もうちょっと続けますと、例えば物体のサイズ、もしくは寸法。これもたぶん建築向きです。

芦澤 : あ、はい。

西沢 : コンピューターが扱うのはサイズのないオブジェクトであって、プロポーションや構成は上手いんですけど、物体のサイズについては、実はコンピューターは苦手です。サイズというのは、ようするに自分の身体の隣にどんな大きさの物体が現れるか、ということですね。そのことが人を不快にしたり、気持ちよくしたりするという問題ですね。そういう快・不快は、建築の方が上手いです。 

芦澤 : なるほど。

西沢 : あとは、例えば経年変化とかですね。50年かけて物体や物性がどのように変化するか、どのような不可逆的な変化をたどるかというようなことは、建築向きだと思います。と、そういうようなことを考えながら、設計しているわけなんです。

平沼 : だんだん、ケンチクオタク っていうのがわかってきました。笑

西沢 : はは。笑

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