2 1 7[ nie - ichi - nana ] vol.4

日 時: 2011年 1月 28日 PM 7:00〜
会 場: ライティング・コア(大光電機 本社ショウルーム)

ゲスト: 前田茂樹(ジオ-グラフィック・デザインラボ)
対 談: 芦澤竜一 平沼孝啓



司会:

お待たせいたしました。これより2010年度、第4回目の217を始めたいと思います。

平沼:
こんばんは、平沼です。
芦澤:
こんばんは、芦澤です。よろしくお願いします。
今日のゲストはジオ-グラフィック-デザイン・ラボの前田茂樹さんです。ようこそ217へ。
最近どうですか?忙しいですか?
前田:
最近大学の方が、卒業設計が終わったところです。・・・大学と事務所を平行して今年1年目だったので、色々とどうしたらいいのかわからないところもありました。関西に帰ってきても1年目だったので、今年はばたばたしていましたけど、そろそろ来年に向けて助走しようかなぁという気分になっています。
芦澤:
なるほど。ではここで、少し質問をしたいと思います。まず、どんな子供時代だったのでしょう?
前田:
大阪の堺市の生まれなんですけど、堺市には古墳がたくさんあるんです。僕が生まれた場所から100mくらいのところにも、黄金塚古墳という古墳があったんです。そこは丘になっていて、周りが棚田になっているような場所なんですけど、そこでよく遊んでいました。
平沼:
伊東事務所出身の平田さんも大阪ですよね?近いですか?
前田:
平田さんはニュータウンなんですよ。ニュータウンは、造成された場所ですけど、平田さんが書籍で書かれているのを拝見すると、造成された自然と残っている自然の両方のバランスがあったと言われていました。
僕の住んでいたところは、住宅地ではあるんですけど、その古墳の周りだけは開発してはいけない。フランスの重要文化財は、半径500m以内は開発規制がかかるんですけど、それに近い感じで、古墳の周りだけが、もさっとしたかんじで、触ってはいけない場所が残っていて、そのまわりに住宅があるという、不思議な場所でした。
平沼:
どんな遊びをしていましたか?活発な子でした?
前田:
山だったり、その場所に田んぼがたくさんあったんですけど、外で遊ぶのが好きだったのと、うちが木工所をしているので、木でモノをつくって友達にあげたりとかしていました。
平沼:
じゃあ、インドアかアウトドアかで言うと。
前田:
アウトドアでしたね。
平沼:
そういう環境がご自身のつくられているものに影響があったりしますか?
前田:
後でまたいろんな場所の話をしたいなと思っているんですけど、その原点みたいなものって何かなって思っています。大学院の授業で、自分の原風景を探すという授業があって、そのときにちょっと意識はしたんですけど、その後はあまり意識してなかったのですが、古墳のような何か触ってはいけないような文化的な場所に、子供の好奇心で入っていって、そこで色んな場所を自分で見つけて、子供の基地にしたりすること。大人が触れない、来ない場所に、子供だった自分たちで場所をつくっていくということは、すごく好きでした。
芦澤:
ありがとうございます。

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