平沼:
芦澤・平沼に、何か質問をください。
木村:
今の若い世代がやっている建築の風潮として、ある物事は何なのかを考えるのではなく、その前提のことから考え始める風潮があるかと思います。例外なく僕たちもそうで、例えば僕でいえば、空間という言葉をあんまり使いたくない気分だとか、そういうものがあるのですが、お二方はそのことに関して何か共感できることがあるのか、それとも違うんじゃないかと思っているのか、そのことを聞きたいと思います。
芦澤:
設計をする上で、今の時代性、社会性を考慮しなけれいけないかと思うのですが、僕からするとその前提が正しくないんではないかと、それらのことを信じることができない状況があります。だから自分自身の感じ方で物事を捉えていかなければならないとは感じています。単純に、こういうお金で、クライアントはこんな人で、こんな条件でという考え方でつくっていくと、とても幅の狭い建築になると僕は思っていて、もう少し与件からフリーになり、前提条件から考えていって、設計の中で何ができるかを考えることによって、なるべく自分の再発見をできるようにはと考えています。
平沼さんがどう思っているのかは分からないですけど(笑)。
平沼:
最後の質問です。建築家とは、どんな職業ですか?
これは僕自身も悩んでいて、今まで建築家だから建築をつくっていたんですが、このままこの流れの中で、職業としてずっと成り立つのかなということ、建築家がつくる建築とは本当に正しいのか、そして、残念ながらかたちに落とさないといけないとき、その決定方法にとまどいを持っていたり、職業自体に疑問を色々と感じるのですが、お二方はどう感じておられますか?
松本:
どんな職業かという質問から外れるかもしれませんが、経験のプロであるべきだと思います。どんなに状況が変わっても、いわゆる職能ではなく、今までの枠には入らないというのが当然出てくるかと思うのですが、根本の経験のプロとして、そこから何かを発生させるのであれば、それは建築家であると考えています。
木村:
建築物を建てる人が建築家ではなく、建築ができる範囲はその時代で変わるのですが、今の時代にそれは何なのかと考えていったとき、その設定は個々でされるべきだと思います。
平沼:
ありがとうございました。
本来なら僕たちが締めるべきところですが、本日会場内に建築史家の倉方さんがいらっしゃいますので、倉方さんに締めていただきたいと思います。すみません。どうぞ拍手でお願いします。
倉方:
今日はお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
とても作品に個性があって、大きなことを考えながら、繊細なものをつくられているな、と見ていました。やっていることの中心が他者性に関するものだろうと思いました。私はずっと東京ですが、最近北九州の大学に教えに行くようになりました。私も行くようになってびっくりしたんですが、使っていない土地があって信じられなかったんですね。空き店舗があったり、誰の土地かわからない土地があったりして、東京ではあり得ない、全ての誰かの土地で、何かの目的のために使用されていて、空いたらすぐに埋まる状態です。ちょうど木村さんが和歌山から大阪に来たときと逆の状態ですね。そのときに、誰のものでもないという状態が大事なのだと思いました。木村松本さんがやっておられることは、経済社会の中では、機能が決まっていてお金を生むもので、誰かのものになっている。そこに、そうではないものを建築でつくるといくことだと思います。いわゆる他者性のあるものですね。例えば、最初に見せていただいた「三人の作家のためのアトリエと住宅」なんかは、上の空間は触れないんですね。トラフのやっている藤壷みたいな住宅がありますが、あれも上の方も何であのようにしているのかというと、光を取り入れ、日々変わっていくのと、絶対触れない領域を作るっていう狙いがあるんですね。
自分の手の届かないものを作ると、そこに他者性があって、他と共有できるというきっかけが生まれてくるというつくり方が、個性的だけど同時代的だなと感じていました。
先日、大学でセミナーを行いまして、その際に永山祐子さんにお越しいただいたんです。永山さんは「手の届かない場所」という言い方をしますが、自分が触れない場所があるから、そこを触れられないことによって、自分で勝手に解釈できる、自分の写し鏡になる。そういう場所があることによって、他者と共有できるきっかけにもなる。たぶんそれが、空間だったり、猫だったりする。猫って絶対的な他者なので、猫をどう見るかによってそのときの自分の心理がわかる。逆にそれが共有できるきっかけになるかもしれない。お二人は、この経済社会の中で、いかに絶対的他者をつくるのかをテーマにやっておられるように感じました。塀も自分の室内なのに、手の届かない場所になってしまうこととか、作品のなかで一貫した共通したことを、繊細にやられているように感じました。
平沼:
ありがとうございました。
司会:
これで本日の217を終わりたいと思います。皆様、最後までご清聴ありがとうございました。木村さん、松本さん、倉方さん、どうもありがとうございました。

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |