山崎:
もう一つの悩みはデザインというのは本当に人を幸せにしているのかなと。デザインしている人間として「はてな」が出てきたんですよ。資本主義だから仕方ないのかもしれないですけど、スタルクが、デザインしてくださいと言われてデザインしたときに欲しいという人が8人出てきてもそれを手に入れられる人はその中の一人だけでしょう。するとこの人はハッピーになったかのように見えるんだけれども、それってハッピーな人を一人生み出しているのか、また、買えなかったという人を7人生み出しているのか、デザイナーはどっちの作業をしているのかわからなくなったんです。あくまで僕の悩みですよ。さらに翌年、ミラノ・サローネから出してくれと言われてこんな椅子を出してみたとして、また欲しいなと思う人が8人現れたけども、買えるのはまた一人かもしれない。パーセンテージはわからないですが、問題は、去年買った人たちもあっちのほうが良かったと後悔しちゃうかもしれない。人気的不協和ですよね。僕らは新しいものをデザインしたときに、あれ買えないと思う人たちをどんどん増やしているだけで、実はデザインは人を幸せにしてないのではないかな、と悩んだというのが二つ目の悩みです。ペンシルバニア大学が日本に対して幸福度研究というのをずっとやっているんですね。実質GDPが点線でずっと上がっているにも関わらず、僕らは幸福かと言われると満足度は横ばいなんですよ。こんなにあがって色々なものが買えるようになって、おしゃれなものを買って豊かな生活ができるようになっているにも関わらず、iPhoneが出た、iPadが出た、iPhone4まで出た、それをどんどん買わないといけないような気がしていると、買えなかったなという人たちを増やしているだけのような気がするなと思っています。デザインは人々を幸せにできるのか、これからも専門家がつくって誰かにやらせ続けている以上、たぶんこのジレンマから逃れられないと思っています。だから、僕がデザインしたものを誰かに与えるというやり方でなくて、みんなと一緒につくっていくと。自分たちでつくったんだ、自分たちでマネージメントしていくんだ、というムーブメントをつくっていかないと、たぶんこのジレンマから抜け出せないなと思ったのが僕自身の二つ目の悩みです。
平沼:
やめましょうかね、建築。
芦澤:
山崎さんの話は、僕ら建築家にとっても非常に響く話で。なんだろう、たぶん、ディスカッションのテーマとしてあげているんだけど、「こと」づくりと「もの」づくりとをあげていて、山崎さんが言っていることはどちらかというと「こと」のところが多いですね。そこで必要な「もの」をフレーミングして、もし必要であれば、「もの」をつくるというスタンス。別に必要性がなければ既存のものを利用するということを選択していると思うんですけどね。ただ、僕の悩みですが。僕の悩みとしてはじゃあ、既存のものをリノベーションしようとしたときに、ハコモノ行政でつくったものが色々あります。でも、これまでのハコモノストックというものがあまり信用できない。(笑) では、じゃあそれは持続的にいいものとして残っていくのかと疑問に思うわけです。 僕たちにとって機能的にも美学的にもいいというものだったらいいんだけども、なかなかいいと思えるものが少ないという現状があると思うのですね。そうなると僕にとっては、やはりみなさんが納得できる「もの」もつくらなければいけないと考えています。ただ、山崎さんがやっているような行政がやっているようなものが使われていない現状を踏まえて、たとえば、人をマネージメントするだとか出来事をマネージメントするという行為は非常に興味がある、というか大切なことだと思うし、その辺は山崎さんどうでしょう。
山崎:

僕ももともとものづくりをやっていましたからその気持ちはよくわかりますね。ものづくりをやっていたときから今を振り返ると、自分が好きだったなと思う作家はことづくりとかと近いところにいるような人たちだったと思います。ハンス・ホラインという人は、きっとものづくりがあまり好きじゃなかったんじゃないかなと思うような人ですよね。ランドスケープを変えるくらいだったらサングラス変えればいいよ、みたいなデザインをしていたり、薬を飲めば見え方が変わるぜ、みたいなことをやっていた人ですから、割と感覚が近いなと思います。セドリック・プライスなんかもそうですよね、システムで解決できるならシステムで解決したい人で、どうしようもなく問われたときにはファン・パレスつくってみたり、鳥小屋つくってみたりしていたんですけど。つくらないでいいならつくらない提案がしたい、作品集の中はそんなものだらけで、割と作家としても「こと」と「もの」の間を浮遊している人たちに共感を覚えることが多かったと思います。さっきの芦澤さんのお話で、今いいと思えるストックがあまりないんだよね、というのは確かに僕らが判断することではあるんですけど、それはやっぱり市民が判断するべきことだろうと思います。いいと思えるものがあれば、それを使い続けるだろうと思いますし、いいものでなければみんなからそっぽを向かれるだけのものであると思います。みんなからそっぽを向かれているものをどうやってリノベーションして変えていくかというのも一つの方法ですし。そっぽを向かれているんだけれども、そこに新しいプログラムを与えることでみんなが使い始めておもしろいことをやったら、同じ空間が違って見えるようになってきたねというやり方もあるような気がします。さっきスライドで飛ばしましたけど、イワレ捏造技術開発機構という遊びのプロジェクトをやっていたのは、風景を直接そのままデザインして新しいものにするんじゃなくて、見え方を変えていくというだけでも新しい見え方ができるんじゃないかと試したプロジェクトですけど、プログラムはそれに近いような気がしますね。将来、万が一この建物がハードとしての建物の魅力を失ったとしても、建て替えやリノベーションをしないで、この中で今やっている217みたいなおもしろいイベントをやりましょうとか、おもしろいプログラムをやりましょうと。しかも、お金をかけずに周りの市民がここの場所で実現したいことが、どんどん仕組みをつくっていってマネージメントする人がいれば、たぶんここの建物はみんながどんどん使いこなしていくような建物になっていくんじゃないかという気がします。

 

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